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戯曲ってなあに?三島由紀夫『近代能楽集』

日本の戯曲は文庫化されているものが本当に限られることを実感した会でした。文庫化したけど絶版になっているものも多くて、現在手に入るのは、ハヤカワ演劇文庫だけど、それでも高価だったりするので避けました。
日本代表として選んだのは三島由紀夫『近代能楽集』。

能楽の自由な空間と時間の処理や露わな形而上学的主題などを、そのまま現代に生かすために、シテュエーションのほうを現代化したのである。
三島由紀夫 近代能楽集 あとがきより

近代能楽集には8つの作品がある。
能は「シテ」と呼ばれる主人公中心主義でできている。ストーリーと設定はとてもシンプルだし、構成も起承転結がしっかりとしている。
今回読んだのは「葵上」。
葵が入院している病院に夫である光が見舞いに訪れて、そこに六条康子が現れるという設定に置き換えている。
初心者が古典から入るのは良いと思う。なぜって構成がシンプルだから。現代になればなるほど時空や設定もどんどんいれかわっていくので観客も演者も解釈の難易度が上がる。これは多分音楽も同じだなって思う。構成のシンプルさは観客のハードルを下げるひとつの要因になる。
さらに、能と三島さんの耽美、唯美主義は相性がいい。どちらも美を追求することに潔いほど懸けている。

「綾の鼓」も時間の関係で前半だけ読んでみた。今回の音読会にぴったりな演劇的で上下の移動でわかりやすいので選んだ。
綾の鼓は身分と年齢がかけ離れた恋煩いというどう考えてもハッピーエンドにならない設定。ならない鼓を鳴らしたら姿を見せると言われて、何度鳴らしても鳴らなくて絶望して死んでしまうお話なのだけど、亡霊となって戻ってきた老人があとひとつ鳴らせば令嬢に届いたかもしれない、というところで亡霊が消えてしまうという終わり方。鳴らない鼓を渡されて、鳴ったらというのは断りの返事だと受け取るようにと。それでももしかしたらという希望にかけるのはわかるし、踏ん切りがつかない。恋とかってそういうものだよねという切なさに溢れている。
法律事務所の小間使いと、洋装店の令嬢という設定に置き換わっているけど、どんな状況であれ成立するテーマだなって思った。

1回目 シェイクスピア「ロミオとジュリエット」
2回目 チェーホフ「ワーニャ伯父さん」
3回目 三島由紀夫「近代能楽集」

そして、次回は、4回目 イプセン「人形の家」。

この音読会で勉強させてもらっていることに感謝しています。
おかげさまでリピーターの方々に恵まれているので5回のシリーズ化になりました。

他の場所でも、出張しますのでおこえかけください。




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