大切な人が軽んじられるとスイッチがはいります

半年は1日たりとも欠かさないときめた。

今日は朝からずっと外出していた。
ミーティングの時にちょっと場を固まらせてしまって反省する。
ふざけないで、とかばかにしないで、って思った時の返し方が感情的になったり、言い方が悪いと気づいた日だった。カチンときたときの対応がなってない。
自分が馬鹿にされるより、大切なものを馬鹿にされるのが一番カチンとくるのだけどわたしは、自分が馬鹿にされたから怒っているように受け取られる。そういう行動をとる癖というか習慣になっているのだ。
こんなとき「ダブリンの鐘つきカビ人間」を思い出す。自分の思っていることと反対の言葉が出てしまう奇病にかかっている主人公が出てくるお話だ。
基本的に私は自信をもつこととか自分のことが好きになれないので、自分は馬鹿にされても仕方ないって思うことが多い。だけど、大切にしているひとに関してだと自分と相手の境界線がわからなくなって、勝手にそのひとの心を代弁している気になってしまう。本当はその大切な人がそう思ってないかもしれないのにだ。だから、すきなひとをばかにされるときは要注意なのだ。話題にされているときもだ。じぶんが馬鹿にされても、あまり気づかない。というか、スルーする。後になって気づく程度だ。

自分が直接相手に対してカチンとくるのは、近親憎悪的なものだ。
たとえば、その人が人の話が聞けないタイプだったりすると過去の自分を見ているように感じてイラつくし、不器用なせいで損をしてきた人とかを見ていると自然とに口調が厳しくなっておさえられない。「あなたそのままじゃ危ないよ」っておもう。だって私が苦労したからそうならないようになりなよ、って責めてしまう。

これだけ読むと度が過ぎたおせっかいさんなのかなって思うけど、ひとの行動に感情が左右されてしまう癖は治したい。
そして相手と自分の境界線を見失う癖があることを忘れずに、人の気持ちを乗っ取らない。気持ちののっとり禁止令。

ひとをリスペクトするって、気持ちを乗っ取らないことかな。

どこかで見つけたこの言葉をわすれずに。

「私とあなたの最大公約数のような、お互いが満たされる共有地を、無理も負荷もない状態で、私と一緒に探していただけないでしょうか」

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