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大切な人との別れ

「母が危篤と、病院から連絡がありましたので、連絡しました」

「わかりました、彼女を連れて病院へ行きます。ご連絡ありがとうございます」

私は、上司に事情を説明した。もう、私の業務時間は過ぎていたけれど、彼女の母親の病院へ付き添いたいと伝えた。上司は、少し嫌な顔をしたけれど、絶対に行くと言わんばかりの私の気迫に、しぶしぶ了承をしてくれた。

出発の準備をして、彼女の元に。そして、これから行く場所について説明した。

「あなたのお母さんのところに、今から行きます。病院に行きます」と。

特に返事はない。表情も変わらない。

彼女は、重度の知的障害と自閉症者である。言葉は滅多に発しないし、起きていればいつもMAXな多動状態。他の職員は彼女との外出を困難に感じるほどである。

表情もあまり日々変化を見せない。喜怒哀楽を出すことはほとんどない。若いころは場面が切り替わるごとにパニックをしていたけれど、今は一切ない。その代わり、他の表情もあまりない。


車に乗り込み出発。

多動の彼女は、車に乗っている間は微動だにしない。いつものようにじっと座っている。でも、どこか緊張しているのがわかる。

病院までの道中、もう一度、これから母親に会いに行くこと、危篤であることを砕いた言葉で説明した。すると

「お母さん・・・」と小さな声で呟いた。


病院に着くなり、先走り、少し抑えて歩かないと、どこかに走り出してしまいそうな勢い。病室に入ると、たくさんの機会に繋がれた母親がベッドに横になっていた。もう、意識はない。

看護師さんが丁寧に説明してくる。娘である彼女の事情は看護師さんも知っているので、優しく声をかけてくれた。「お母さんだよ」と。そして、母親にも

「娘さん、来てくれましたよ」

10秒もじっとしていられない彼女だが、この時は、しっかり私の腕を握って、母親を傍で見つめていた。

それは、一瞬ではあったが、しっかりと彼女は母親との対話をした瞬間だった。

ふっ、力が抜けて、いつもの彼女に戻った時には、車に戻ろうと走り出そうとしていた。看護師さんにお礼を伝え、病院を後にした。

その、数時間後、彼女の母親が亡くなったと連絡が入った。


3人きょうだいの末っ子の彼女。障害はとても重度で、IQと言われるものは測定できないくらい。それでも、ご両親はとてもかわいがって育てられた。

私が彼女と関り始めたときには、父親は亡くなっており、母親は認知症の症状などから施設に入っていた。そのため、彼女は何年も母親に会えていなかった。

彼女はいつも週末、家に帰れるのではないかと、玄関で過ごしている。きょうだいは面会には来るけれど、家に連れて帰ることは難しく、彼女の願いは叶わない。それならば、と母親のいる施設にこちらから面会に行こうと思い、手配した。

何年ぶりになるのだろうか。車の中で、何度も、何度も説明した。表情を変えず、ただじっと座っている彼女に。しかし、ふと一言

「お母さん・・・」と呟いてくれた。

あっ、わかってくれてるんだ。と実感する。

施設に着き、母親の部屋を訪ねると、ベッドからきちんと起きて母親は待ってくれていた。

「元気にしてた?」と声をかける母親。

そっと、母親に近づく彼女。すぐに離れて、部屋を出ようとした。

「せっかくだから、もう少し過ごしましょう」と伝え、椅子に座ってもらう。

母親からは「この子、言葉がないので。大変な子ですが、面倒見てやってください」と付き添った私に言葉をかけてくれた。

「言葉はほとんど出ませんが、大事な時には出してくれますし、きちんといろいろ理解はされているので、安心してください」と話しをした。

それでも、何度も、何度も言葉が出ないう娘を案じ、お願いしますと言っていた。

いつもならすぐに車に戻ろうとする彼女は、じっと椅子に座り、これまで見たことのない笑顔を出していた。キュート、という言葉がぴったりくる笑顔だった。

そんな、母と娘のやり取りは約5分。それでもこの時間はとても心の通った時間だった。

それから、半年後にもう一度母親を訪ねて以降、母親は体調を崩し、病院へと場所を移った。


病院に入ってから、初めての面会時、いつものように車で説明を続けた。この日特に何も反応はなかった。

病室に入り、眠っていた母親を見ると、近づきもせず、病室を飛び出した。慌てて追いつき、そのまま車に戻った。

「お母さんにちゃんと会わなくていいの?すぐには来られないから、ちゃんと顔見たら?もう、帰っていいの?」と何度も話しかけた。反応はない。最後にもう一度

「帰っていいですか?」

「はい」

と返事があり、病院を後にした。

そんな病院での面会の数か月後、危篤の連絡があり、面会に行くこととなる。


母親の葬儀の日程、場所の連絡がきた。式への参列は難しいけれど、式の前に母親と彼女を会わせてあげたいと親族にお願いし、親族からもぜひお願いしたいと言っていただいたので、葬儀場に向かった。

もちろん、出発前にこれからの行く場所や母親のことを説明した。車中はいつも通りじっと座って、表情を変えない。しかし、危篤と伝えられて、病院に向かっている時とは雰囲気が違った。あの時の緊張は彼女から感じなかった。

葬儀場で母親との対面は、逃げてできないかもしれないと心配したが、彼女はきちんと棺の中にいる母親の顔を見ることができた。

きょうだいから

「わかるか、お母さん、死んじゃったぞ、いいか」と声を掛けられていた。


葬儀の数日後、上司から、母親が危篤になり亡くなる前に面会できたのは彼女だけだったみたいと話があった。

母親と彼女はお互いがお互いを引き寄せたのだろう。二人の強い絆の元に。


障害を持つ彼らは時として、冠婚葬祭に出席できない。でも、最後のお別れだけはきちんとしてあげたいと私は思っている。言葉ではわからない。でも肌で感じることはできる。その場の雰囲気で理解できる。誰よりも大切な人とのお別れは、彼らなりにその時間を過ごすことができる。それがあるのと、ないではその後の理解に大きく差が出てくる。

この時間を持てなかった人は、ずっと、大切な人とまだ会えると思っているし、どうして会えないのか理解が進まない。


私は、彼女をめぐるこの時間に付き添えたことは、私と彼女の財産である。彼女からしたら、まだまだな職員だけど。これからも、大切な時間はきちんと伝え、共有したい。


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