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プリズンサークル

プリズンサークルという、ドキュメンタリー映画を観た。

最近もっぱら心理学の勉強に励んでいて、つい最近も犯罪心理学の授業を終えたばかりの私には、とても興味深い作品だった。

むしろ、この一本が今後の私の人生を変えるのかも知れない、と思うほどの作品であった。

坂上監督は、刑務所に六年がかりで交渉し、撮影に二年をかけてこの作品を作り上げたそうだ。


このドキュメンタリー映画によって、わたしは全く知らなかった世界を覗き見した。

舞台は島根県にある島根あさひ社会復帰促進センター、要は刑務所だ。

この施設が特別なのは、TCプログラムという制度を通し、通常受刑者間では許されていない対話をさせ、受刑者を真の意味での更生へと導いていくことにほかならない。

確かに海外のドラマなどを観ていると、カウンセリングをしている場面をよくみるし、その効果は十分に証明されている。

TCプログラムでは、十数名の受刑者が円座で向き合い、ひたすら対話する。

例えば自分の過去、自分が犯した罪、ときには役割に分かれ、被害者や自分の家族の心情を想像し意見を交換し合う、ときには小さなグループに分かれて話す、ときには、全員の前に立って話す、ときにはプログラムを支える臨床心理士と1対1で対話する。
ただ、みんなで感情というものの種類を出し合い、一つの感情について話すときもあった。

ときどきテレビなどでみられる冷たく閉鎖的な刑務所のイメージと、画面の中のその施設は全く違うものだった。

印象的だったのは、この番組で取り上げられていた受刑者たちは、みな悲しい過去に囚われていたということ。

虐待されたり、いじめられたり、親に捨てられたり。

そうだ、なにか事件が起きるたびにその犯人の過去がニュースで流される。複雑な家庭環境があった、だとか。

それを聞かされたところで、視聴者はふーん、くらいにしか思わないだろう。

でも彼らは、実際にその過去を通ってきている。

その人にとったら、ふーん、でやり過ごせることではなかったのだ。

その過去が、自分の人生に大きな闇としてのしかかっている。

幼少期に辛い経験をした者全てが犯罪者になるわけでも、そんな経験があったからといって罪を犯していいわけでもない。

でも、このドキュメンタリーで取り上げられていた受刑者たちは、紛れもなく悲しく孤独な過去を生きてきた。

罪を犯したら、その罪を償うのは当たり前だ。これに関しては世界中が同じ認識なのだ。

犯罪者は必然的に刑務所に送られ、そこで刑期を全うする。従来の刑務所では、彼らはただ規則的な生活をし、自由もなくただ黙々と日々の作業に打ち込むだけだ。

日本における犯罪者の再犯率は高い。

刑期を全うし、更生したのではなかったのか。
数年間、ただそこで生活し、出てきたらまた事件前と同じ生活に戻る。

なぜ彼らはまた同じことをしてしまうのか。
では刑務所の意味とはなんなのか。

もちろん、彼らは刑務所に入ることによって「罰」を受けている。その「償い」を終え、出所してくるのだ。自らの刑期中に自分のしたことを反省し、自らの力で更生する人ももちろんいないわけではない。

しかし、それができるような強い人間であれば、そもそもそんな悲しい罪を犯すことはしないのではないだろうか。


自分の過去を初めて他人に話す20代の男性が取り上げられていた。悲しい過去を経て、感情を持つことができなくなった。

大好きな親にすがってもすがっても見捨てられ、全てにおいて投げやりになった。

強盗をして捕まったけど、自分のしたことの何が悪いのかいまいちよくわからない。

そんな人たちが、ただ毎日黙々と暗い部屋で人と会話することもなく、果たして出所後、違う自分でいられるのか。

TCプログラムで、自分の辛い過去を、よく覚えていないけどなんとなく闇のある記憶を泣きながら吐き出す男性。

彼より年配の受刑者がうなずきながら、その人物に対してただ耳を傾ける。さらに深く掘って、自分たちが置かれていた立場にただただ向き合う。

これまで逃げに逃げてきた作業なんだと思う。

自分という人間に向き合う時間はひたすらある。

しかし、親身になって聞いてくれる人たちとその作業をするということは、一人ですることよりも大きな意味があるだろう。

自分が見えていなかった自分、向き合えなかった自分。そういった自分と向き合うことになる。

自分の犯した罪がいまいちわからない、と言った男性。被害者は確実にいて、その人は傷ついている。

TCプログラムでは、他の受刑者が彼が傷つけた被害者、母親、元妻になりきり対話をした。

対話していくうちに、他人の気持ちがわからなかった、自分のことしか考えられていなかった彼の心境が変わってゆく。

被害者役の人に質問をされた彼は、ただ泣き続けた。

自分の犯した罪を、こうして誰かが一緒に向き合ってくれるというのは、なんと心強いことであろう。

本当の意味で、自分という人間を初めて知ることができるのかも知れない。そのそうして、初めて自分が犯した罪をやっと見つめることができるのかも知れない。

彼らはプログラム中に、ときに笑い合って「会話」している。この場面をみただけでは、彼らが犯罪者で、これは塀の向こうで行われていることだとは想像しがたいだろう。

顔にぼかしは入っていて表情は伺えないが、こんなに優しい話し方をする彼らと、彼らが犯した罪がどうも結びつかない。

彼らは犯罪者である前に、一人間である。

自分が必死に隠してきた傷を、見ないようにしてきた傷を、誰かが一緒に治るように努めてくれることなどこれまでなかった彼らには、その意味の大きさは計り知れない。

彼らは、ここ、刑務所で初めて安心できるところに出会った。
なんとも皮肉な話だ。
それでも少なくとも、彼らの人生が変わるきっかけになったのである。

犯罪者は犯罪者だ。しかし、「罪を償った」彼らは、また私たちと同じフィールドで生活をする。

それならば、彼らは刑務所にいる間に本当の意味で「更生」しなければいけない。

それができないのであれば、刑務所に入ったそんな数年の気休めなんて、彼らにも、私たちにも意味がない。

TCプログラムに参加していた出所者は、定期的に機会を設け会っているようだ。

出所後のお互いの状況などを、TCプログラムでしていたように、包み隠さず話す。罪を犯したことのある人間が、社会復帰をしてから、こうして安心できる場所があるというのはとても大切なことなのだろう。

TCプログラムを受けた受刑者の再犯率は、受けていない受刑者と比べて半数以下だという。

アメリカでも同じプログラムは実施されており、その効果は実証されている。

にも関わらず、TCプログラムは島根のこの施設のみでしか行われておらず、一度のプログラムで参加できるのはたったの40名ほどだそうだ。

日本全国に、受刑者は40万人ほどいるという。

これが現実だ。


私はよくも悪くも、多くの人の心に自分の感情を移入する。犯罪被害者やその家族、加害者の家庭環境。

悲しいニュースをみるたびに辛くて涙がでてしまって、自分のことが手に付かなくなってしまうから、極力見たくない、聞きたくない。
その誰かの感情に、自分が関わることは実際にはないのにだ。

でも私は人の感情と向き合いたい。

傷ついた誰かの感情に寄り添いたい、と強く思う。今幸せでない誰かが幸せに生きていけたら、と願う。

私は誰かの傷を、でもこの人はこうだからと線を引いて言葉でなんか分けたくない。心が辛いと感じている人の感情の支援者でありたいと思う。

この心の動かし方は、対人となったとき、仕事としたとき、正しいものなのかはわからない。

それでも心理学の学修は、私にはとても向いていると日々感じる。人間として、人間と向き合うことが私らしいと思うからだ。

心理カウンセラーという職業に、そのあり方にとても興味がある。

しっかりと意識をしていないと、人間の在り方は驚く速さでかたちを変えていって、気付いたらみえなくなってしまっている。

プリズンサークルを観て、これまで知らなかった業種を一つ知ることができたのは、私にはとても大きな意味があった。

これから何があるかは全くわからない。
それでも私は、人間と向き合って生きる人生を歩みたいと思う。

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