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おもろうて、やがて悲しき『おちょやん~テルヲ~』

おもろうてやがて悲しき、という言葉を最初に知ったのは、中学生の時に聴いていた、関西ローカルの深夜ラジオ番組、知る人ぞ知る『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』であった。

『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』とは(wikiより)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E7%93%B6%E3%83%BB%E6%96%B0%E9%87%8E%E3%81%AE%E3%81%AC%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C

おそらく、その言葉の元となったのであろう(?)松尾芭蕉の句『おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな』がある。
句では『おもしろうて』となっていることを、かなり後になって知るのだが、長年、関西を住みかとしてきた自分の中では、悲しきに続くのは、やはり『おもろうて』なのである。



破天荒な人が世を去ると、それまで批判的だった人も、掌を返すように美談にしてしまうことに違和感が、ずっとあった。

朝ドラ『おちょやん』の、主人公、千代の父親『テルヲ』がまさに、その典型のような人物である。
根は決して悪人でないのに、酒・博打・借金の人生。
『根は悪人ではない』が、近しい人間にとっては、もっとも厄介なのだ。
悪100パーセントならば、憎んで見捨てることもたやすいからだ。

留置場にて死す、という天罰のような今際の際において、愛妻と娘の笑顔と「お父ちゃん」という声が聴こえる場面に、なにか救われるような思いを感じるのは、私だけではあるまい。

テルヲは、前述の、まさに『おもろうて、やがて悲しき』の人であったと思う。

特別に立派なことも成せず、そうかといって、大それた悪事をすることもない、私のような小市民には、テルヲのような人は『おもろい芝居』をしているように見える。

おもろい芝居は、徒花的で、その散り際は、どうしようもなく悲しいのである。

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