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介護福祉士が始めたうたごえ喫茶 ①

2020年10月に、宮城県女川町にうたごえ喫茶そらおとをオープンしました。当然に、「どうして女川で?」「どうしてうたごえ喫茶?」と、聞かれるのでその辺について伝えられたらと思います。

まず、私は20年ほど高齢者介護の仕事をしてきました。始めは特別養護老人ホーム(以後特養)で、つぎに全国展開する営利法人の認知症対応型共同生活介護(グループホーム、以後GH)で勤めました。資格は、今は名前が変わりましたが、ホームヘルパー2級を取り、その後、介護福祉士、介護支援専門員、認知症ケア専門士を取り、認知症介護指導者研修というものも修了しました。GHでは管理者として2事業所を立ち上げから関わりました。業界の方はご存じだと思いますが、管理者といっても、介護員をしながらの管理業務等なので、24時間対応で、よく自分自身潰れずにやってたなぁと、思います。

20年やってきて今思うことは、介護は進化したものの再び20年前に逆行している ということです。

介護は措置の時代から、介護保険制度のサービスの時代へ移り、「画一的」な集団から「その人らしさ」の個人へと見かたや考えが変わってきました。昔からある高齢者施設などは郊外の土地の安いような場所にありましたが、最近では駅前などに高級感(実際に高い)を売り出した施設などを目にします。まぁ、それは選択肢が広がったと考えればよいのですが、予想以上に介護が必要な高齢者と介護をする人材のミスマッチがおきました。「介護離職」という問題などもおき、国としては、大型施設に収容できるようにして離職を防止、現場は人手不足で「効率」や「生産性」を求められよりよく管理することに頭を悩ませています。「個別ケア」を模索し、関りを大切にする「新しい介護」は一部からは理想論として鼻で笑われてしまう有様です。

私も特養時代は、いかに早くできるかを一つの指標にしていました。時間内に何人のおむつ交換、風呂入れをできるか。夜勤明けをいかに業務時間どおりに済ませられるかに、できる職員かどうかの評価基準を置いていました。行事の企画や介護計画の作成、痰吸引など一通り出来るようになったので自分の中では「出来る介護職員」と自負していました。

しかし、その自信もあっという間に崩れることがおきました。GHへの転職です。どんな方でもケアすることはできると思っていましたが、GHに入居されてきた方は、基本的な身体介護を必要としなかったのです。GHで必要とされたのは、人対人の基本的なコミュニケーションでした。ただ、そのコミュニケーションが、認知症によりスムーズに行かないわけです。いかに専門的な技術を使うかを求められていた特養とは異なり、いかに専門的な技術を使わずに、普通の生活を送れるように支援していくかが求められるようにガラッと変わったのです。私のしていたケアはただの作業であり、ケアではありませんでした。

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