見出し画像

生き地獄で食べるマルゲリータ

妹とサイゼリヤで食事をだらだら食べていた。
「1ヶ月だねぇ」
どちらからともなく、言い出した。

「「・・・」」

「「え、長くない?」」

愛犬が亡くなってからちょうど1ヶ月が経った。
大人になっても、こんなにも長い1ヶ月があるのかよ、と思うくらいに時間が長い。小学生の頃の夏休みなんかよりもよっぽど長い。だいぶ、疲れたなぁ。


いくら悲しんだところで犬が帰ってこないのはちゃんとわかっていて、
だからこそ気持ちを奮い立たせて生きているのだけれど
まだ1ヶ月。これから、わたしの人生はこういう時間の流れになっていくのだろうか。

仕事に行って、ご飯を食べて、合間に本を読んだり映画を観たり、お昼寝をして、あとは眠る。そしてまた朝がやってくるだけ?


・・・


実家を出て一人暮らしをしている妹がわたしに
「ぽん太のおばけでた?」って聞いてきた瞬間
「でてこないのぉおおおお」とマルゲリータのピザをくわえながら、都内の満席になったサイゼリヤで御構い無しに泣いているまぬけなOLがいたらそれは私だ。ついでにチーズはしっかりと伸びるからまぬけ度は増していただろうなぁ。

つられるように妹の目が真っ赤になっていく。”いま”が本当に辛いんだけど、共有できる妹がいるっていうのはたまらなく心強くて、それを知るきっかけがまた犬の死なのがなんとも言葉にならない。


・・・


犬の心臓が止まったとき、なぜか涙がでなかった。

今思えば、放心とか動揺とかの揺さぶり(?)でわたしの精神がぶっこわれないようになにか作動していたのだと思う。
なのに今は、思い出話をするだけでぼろっぼろ涙が止まらない。なのにぶっこわれる気配がないから、淡々と現実と向き合わされている。


生き地獄だ、って結論にたどりついていた。
たどり着いているはずだった、のだけれど。


人目もはばからず泣く私の正面には、目を真っ赤にしながらも雫はこぼさずじっと耐えている、あんなにも泣き崩れた妹がいた。

まるで「泣く順番」を譲ってくれたかのように。

わたしはお姉ちゃんだから、たぶんここで妹が泣いたらスンと涙がひっこんでいただろう。

グラスがあけばせっせと水を運んでくる妹(お財布を出す人って偉いからね)と、お腹が空いたねと、サラダにピザ、チキングリルを次々と頼む。ご飯を食べて、ちゃんとお腹もいっぱいになることはなにより「生きている」ことの証明のような気がして。

この長い日々を生き地獄だ、って結論をだしたつもりだった。
でも、地獄に妹を連れて行くわけがないから。
妹が目の前にいるのだから、地獄では、ないか。


うむ、そもそもここは天国でも地獄でもない。
生きている世界、それ以上でも以下でもない。
今日も明日も生きている限り、生きていく世界。


辛いけど、辛いからこそあまり考えすぎるでない。
お花でも買って、帰ろう。家に、帰ろう。




いいねを押してもらえると、私のおすすめスタバカスタムがでます。カフェラテ以外が出たらラッキー!