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ラジオクロックを捨てた

長いこと使っていたラジオクロックを捨てた。20年以上、ベッドのわきに置いていたものだ。毎日、何度もそれを眺めては時間を確認し、ラジオ番組を聞き、音楽を聴き、目覚ましとしても使っていた。シュルルーと音を出してCDがまわるのが面白いのか、たいていの子供は、これを前にすると、あらゆるボタンを押して操作するのを楽しんだ。
アイルランドは夏時間と冬時間が一時間変わる日がある。その日もボタン一つで時間が変更される優れものだった。夜間に部屋がまっくらでも、時間を表示してある部分は小さな明かりがついていて、シンプルで機能的。もともとは結婚前の夫の持ち物であったけれど、私も長いこと、ありがたく使ってきた。
夫がアイルランドに移り住んで間もない頃、彼のお兄さんからプレゼントされたものだった。慣れない土地、習慣も常識も違うこの土地で、朝早くからの仕事に遅れずに起きられるよう、そして音楽を聴くのが好きな彼が楽しめるよう、さらにはラジオでもつけて、英語の勉強や、寂しさをまぎらわすようなことのためにも、これはプレゼントされたと私は理解している。何度か引っ越して住居を変えても、それはいつも、ベッドのわきに置かれてきた。
さすがに古くなったのか、ラジオがつかなくなった。気づくと表示される時間が遅れていて、幾つものボタンをピコピコと駆使して、しょっちゅう直さなくてはいけなくなった。CDの機能も動かず、明かりもつかなくなったので、夜間は時間を確認することも出来なくなった。
夫には、プレゼントとしてもらったこのラジオクロックに思い入れのようなものもがあるかもしれない。うまく機能しなくなってからも長いこと、私はそれを捨てることをためらっていた。
思い切って夫に聞いてみると、なんのことはない。捨ててしまって構わないという。壊れているのは百も承知で、それでも念のため、最後にもう一度、ボタンを押してみたり、電気の通っているコードを動かしてみた。
やっぱり、機能はしなかった。

グレーの色をしたラジオクロックの、メッシュになっているスピーカー部分には、20年以上前に私がつけてしまったキャンドルの溶けたロウが、そのまま汚れのように広がってついている。それを付けてしまった時、ちょっと慌てながらも私は可笑しくて、夫といっしょに笑っていた。
ラジオクロックの手前にティーライトを置いたのは彼だった。火をつけているうちに、その小さな金属製の入れ物は、液化したロウでいっぱいになっていたのに、私が思い切りフーっと火を吹き消したものだから、それがスピーカーの部分に飛び散ったのだ。
日がかげるのが早いアイルランドの冬場には、キッチンのテーブルや暖炉の上や、玄関の棚などの上でキャンドルはよく使われる。その中でもティーライトは小さく手軽で、簡単に雰囲気を創り出してくれる。
夫がキャンドルに火を灯すなんて、今では停電にでもならない限り、あり得ない。でもまだ20代だった頃の彼は、ベッドのわきに置かれたラジオクロックで音楽をかけ、ティーライトに火を灯した。飛び散ってスピーカーにくっついてしまったロウは、そんな時代のある一夜の証人だ。そっと吹き消さなければロウが飛び散ることも知らないほど、私は若く、大切なラジオクロックを汚されたのに、怒ることもなく一緒に笑うほど、夫も若かった。

家の近くにあるリサイクルセンターに、ラジオクロックを捨てに行った。雨風にさらされている電気製品のセクションで、少し思いきるようにして、所定の大きなかごの中に捨てた。センターは、ありとあらゆる不要になった物であふれていた。
家族が集まって、笑いながら過ごした時間の中心にあったかもしれないテレビ。
きょうだいが仲良くくっつきあって座っただろうソファー。
成長する家族と共に、毎日の食事のたびに囲まれたダイニングテーブル。
初めて乗れるようになった自転車。
どこかの家で、それぞれの大切な時間に、大切な場所に、無くてはならなかったたくさんの物が、今、不要なものとして、そこに捨てられていた。捨てる人が、もうすでに忘れてしまった時間までも抱えながら、たくさんの物が、そこに腰を下ろしているようだった。
時間が進んでいくように、私たちにとって大切なものも、思いもよらずに変わっていくのだ。
溶けて飛び散ったキャンドルのロウをくっつけて、20年以上、ベッドのわきに置かれてきたラジオクロックは、今、吹きさらしの中、不要となった電気製品の山に埋もれた。
そっと秘められるようにそのラジオクロックが抱えてきた時間が、新しい何かに代わられるため、私の手元から離れていったのかもしれない。

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