朝のルーティーン

「ガオー!ぼくはトラだぞー」
私をこわがらせる為にすっかりトラになりきっている三歳のダーちゃんが、玄関のドアを開けた私に開口一番、低い声をあげて、我が家に入ってくる。
彼はいつも、何かしら私に見せる物や、話すことを持ち合わせて我が家に現れる。ドアを開ける私の挨拶が終わらないうちに、待っていましたとばかりに新しいおもちゃを見せながら、夢中でそれを説明する日もある。大好きなサッカーチームのジャージーをご自慢で見せる日もある。新しい靴や帽子を身につけていれば、それを私に告げるのを忘れることはない。私を驚かせたり、怖がらせたりも、彼の大好きな朝一番のルーティーンだ。
「わー、怖いわ!おはよう、ダーちゃん」
トラになり切っているダーちゃんは、標的を見つけた興奮を押さえつけるようにゆっくりと、私に向かって爪を立てる振りをする。三歳にして、なかなかの演技力だ。ご両親ゆずりの端正な顔立ちと、すーっと通るきれいな声も持ち合わせている。将来、もしかしたら人気の俳優になるかもしれない。
「ジャケットと靴を脱ごうね。来るのが遅かったけど、ベッドでお寝坊してたのかな」
「ガオー!」
返事はない。彼は今、トラなのだ。どう猛な表情を作りつつ、抜き足差し足という感じで、部屋の中を歩く。
二歳年上のお兄ちゃんであるビー君が、見つけたおもちゃにすぐ手を伸ばして遊んでいるそばで、トラになっているダーちゃんは、それらに惑わされる事もなく、ジャングルということになるその小さなスペースで、トラになり切り、うなり声をあげる。
「お腹すいてる?朝ごはんは食べてきた?」
背中を丸めてのっそり歩くトラだったダーちゃんは、元気に「チョコレートサンドイッチ!」と叫ぶと、すかさずテーブルに駆けよる。どう猛なトラは、どこかへ行ってしまったらしい。
私がサンドイッチをあげるとも言っていないのに、もう彼はしっかり椅子に座っている。布張りではなく、汚れを簡単に拭き取れる木の椅子に座るあたりといい、小さいながらも背筋を伸ばしてまっすぐテーブルに向かう姿といい、うれしそうに待ちわびる表情といい、これをがっかりさせて椅子から降ろすなんて、私にはできない。
「お家で何を朝ごはんに食べたの?」
「ポリッジ」
いつもの健康そうな定番だ。
「じゃあ、小さいチョコレートサンドイッチをあげるね」
遅れてはならぬと、お兄ちゃんのビー君も、急いで木の椅子によじ登る。
ちょっと手の込んだとびきりおいしいものや、栄養士がこれぞと勧めるものを選ぶのはもちろんうれしい。でもこんな、人によってはあまり歓迎しないようなものが、時々のうれしい定番になることも多い。
私は薄い食パンに、これまた薄っすらチョコレートを塗る。折りたたんで小さくなったチョコレートサンドイッチを二つに切って、更に小さくする。小さくなるけれど、子供の目には数が増える。
彼らはお気に入りのチョコレートサンドイッチを、いつものように満足そうに食べる。薄っすら塗ったチョコレートのほとんどは、お腹の中に入るというより、口の周りと小さな両手にしっかりくっついて、おいしさに満足する二人を証明するかのようだ。
なんでもない、学校や幼稚園に行く前の朝の時間も、こんな風にちょっとした楽しみがある。きれいに身だしなみを整えたり、時間通りに家を出るよう支度したりはもちろん大切だけれど、楽しみがそこら中にある感覚も、私は大切にしていたい。

ビー君が通う学校は、子供の足でも10分で足りる、手ごろな距離にある。学校までの道は、三人でずっとおしゃべりしながら歩く。自転車やスクーターで通う子供も多いので、私は前に後ろに目を凝らす。パーンパーンと地面をけりながらのスクーター通学の子供とですら、うっかりぶつかったら、それなりのケガをお互いに負うかもしれないのだ。
大きな学校なので、通りにある信号機の前は、登校する子供たちと、その親であふれている。おじいちゃん、おばあちゃんたちもいる。私のように、自分の家族以外の子供の送り迎えをしている人もいる。犬を連れ歩いている人たちも多い。
アイルランドの小学校は、一年生になる前の二年間からスタートするシステムだ。日本の小学校と幼稚園が一つになっているようなものだけれど、あくまで小学校が8学年でできていることになる。総勢8学年が一斉に登校するので、目を離したらお互いを見失うほどの込みようだ。
「僕を見失わないで」
一度、込み入る中で私を見失い、涙が出るほど慌てたことのあるダーちゃんが、私に念を押す。探そうと慌てる子供は、とっさに走って、違う場所に動いてしまう。気を付けなくてはいけない。大人の目から子供が見えても、子供の目に、暗い色のコートを着込んだ大人がすぐに見えるとは限らない。
「もしも私とはぐれたら走ったりしないで、その場で止まるのよ。私がすぐに見つけるからね」
始業時間がやってくると、お兄ちゃんであるビー君は、同級生と一列に並んで進む。
「今日は後で私が迎えに来るからね。いい日を過ごしてね。じゃあ、あとでね」
声をかける私に返事はない。ビー君はまるで、吹いている風を最後に一瞬受けたようにして、校舎の中に入っていく。

さらっとしたこんな朝は、いつもの朝だ。ドラマなどない。大きなショックも悲劇もない。あるのはいつもの楽しいルーティーンだ。はずむような会話の楽しさ、ご褒美のように食べるおいしさ、大事にされている感覚、大事にする感覚。安心で明るくて、たんたんと動いていくリズム。なんの変哲もないこんな朝が、私には愛しい。
小さな彼らに、私の声が、吹いている風のようであるのなら、それが彼らに心地よく吹いている事を、私は願う。いつか大人になった彼らのもとにも、届く風かもしれない。


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