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掌編、短編小説広場

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此処に集いし「物語」はジャンルの無い「掌編小説」と「短編小説」。広場の主は「いち」時々「黄色いくまと白いくま」。チケットは不要。全席自由席です。あなたに寄り添う物語をお届けしたい… もっと読む
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2021年6月の記事一覧

短編「ステッキandアンブレラ」

 ザーザーと世を洗う雨。天空から垂直に落ちて道、交わるはこと世の理。憂いは満ちて現の階。町のひと場面。或る通り、或る時間。小振りな傘は透明と、縁取りは濃き青。模様は様々、軽快なさんかくしかく。水溜りそこかしこ通せんぼの足元を、お揃いの濃き青長靴ちゃぷん・・ちゃぷん。なぜか弾まない。不機嫌な少年、ただ道を歩く。  水のカーテン向こうから現れるは背高のジェントルマンひとり。シルクハット、三つ揃いのスーツ纏い、手にはステッキ黒びかり。この雨の中、傘も差さずに、こつこつ、歩いて来る

短編「三度目の掃除機」

 台所でジップロックに作り置き野菜を小分けしている母に向かって、 「私今日から彼の家で一緒に住むから」  と宣言した。母はいきなり 「まだ早い!」  と私を叱った。自分は二十歳で結婚した癖に。私は今二十三だ。  母はまるでコンビニ強盗でも捕まえるのかという形相で追い掛けて来たけど、既に荷造りを済ませていた私は玄関を飛び出し、そのまま母を振り切って逃げた。最初の曲がり角で一度だけ後ろを振り返った時、エプロン姿で玄関前に立ち尽くす母親の姿が見えた。やだもう、お玉とジップロック持っ

掌編「雨音の居心地」

「雨は好きですか、嫌いですか」  雨音は絶えず民家の屋根を叩き、車道では四輪が飛沫を上げて水の通りを掻き分けて行く。樋を伝うは累々と水脈、溢れて苔にものを云う。コンクリの裂け目滲みて、底知れぬ大地は蛙の下で、生垣の端で、誰にとも知れず潤う。波紋広がりて麗しく世界映し出すは、遥か古より眠る湖に外ならぬ。翻して細道の先、美しき柿色の瓦屋根、その滴る稜線なぞりて瞳移せば、軒下へ佇む若い二つの姿。影はなく、日向も無し。或るのは雨の慕情ばかり。    雨音はさあさあと天から降りて、

掌編「或る青い流線形の彼」

   深く、深く、けれども透き通る程に美しく、どこまでも青き場所で、彼は生きた。暗き闇の只中、恐れるものもなく、己の研ぎ澄まされて、愈々冴えたるを頼りに、縦横無尽に、深い青を味わい尽くして生きた。遥か上空から、日に一度は光の筋が差した。決して憧れるのではないけれど、それでも彼はそのひと時を美しいと感じた。或る時は目指してみようかと鼻先を伸ばし掛けた。けれどもやはり、深い青を離れることは出来なかった。彼はそれでも満足していた。彼の周囲には常に命が溢れ、己の飢えを満たし、仲間の

掌編「傘をささんとする」

 今日も雨が降っていた。  公民館の敷地内は、紫陽花が見頃となって、雨に打たれるも鮮やかに、紫と眩い桃色の球が咲き乱れている。傘を差してまで外へ出るのはあまり好きではなかったが、月二回の教室の日が重なってしまったのだから、駄々を捏ねても仕方が無いと、私はしとしと降り止まぬ雨を冒して外へ出てきた。  しかし歩いて十五分、来てよかったと早速思った。茂る濃緑の葉に守られて、絢爛たる紫陽花の見事なこと。思わず傘の下で我を忘れた。花壇の花に自ら足を止めるなど、独りになって以来初めてで

掌編「波打ち際、サクラガイ」

 出会いと別れが或る。それは望み通りにはならないもので、ある日突然やって来て、哀しいとか、寂しいとか、嬉しいとか、鼓動の高鳴りとか、心の内の、切ないのを、たった一瞬で、染め上げてしまう。  今僕の目の前にある、夕日のように。海の表面がくれない色に煌めいている。  砂浜で桜貝を見つけた。波打ち際でもっと奇麗なピンクがきらり輝いて見える。サンダルの足に砂が纏わりつく。むぎゅむぎゅする。楽しい。足首、脛まで海水に浸して、少しだけ冷たい。奇麗の行方を探す。見つけたと思った。手を伸

掌編「合羽少女、自転車に跨る」

 昼前だった。国道五十一号は相変わらず混雑している。目の前の信号が赤であるためブレーキを踏んだ。昨日から雨が降っていた。時に本降りになり、また小康状態になりながら、ずるずると燻るもったり厚い雲が、空を覆って街の向こうまで続いていた。ハンドルを掴んだまま、車内で首を回した。運転は嫌いではなかったが、連日視界が悪いとやはり肩が凝る。ぐるり弧を描いた視線はそのまま二回転して運転席の窓の外へ向けられた。そして、とある地点で止まった。  横断歩道の入り口に、一人の少女が立っていた。小

読切りよりみち「僕はこの時、この人の普段の顔が見てみたいと思いました」

※長編小説「よりみち」シリーズの番外編です。時系列は「よりみち」と同時期になります。 「僕はこの時、この人の普段の顔が見てみたいと思いました」  この際だから、彼の正直を持ち出すとしよう。  彼は当時の仕事に何の不満も抱いていなかった。元々特筆した長所もなければ社会的地位も欲していない彼は、月々の仕事への対価がそれなり口座へ振り込まれて、休日には会社から解放され自分の時間を謳歌できるのであれば、仕事の中身には大した執着も持ち得なかったからだ。にも拘わらず、大学を卒業時に、

掌編「我が手のひらの使命と気儘と埒外の仕業」

 今朝シャワーを捻っているのにいつまでも湯が出ないと思ったら、給湯器の電源を入れていなかった。通りでいつまでも水である。驚いたと云うよりも、私は自分の所業に呆気にとられた。此れはいかんだろうと思う。首を捻りながら腕を伸ばし、人差し指でスイッチを押して、今度こそ湯を待つ。梅雨の癖に良く晴れて、今朝も浴室内は明るい。時を置かず溢れ出した熱いのを、生身の自分に浴びながら、人知れず己のうっかりについて向き合っている。  こんな当たり前のこと、忘れる程の所作だろうか。ごみを持てば屑籠