見出し画像

杜子春

「杜子春」
芥川龍之介 1920

・・・・・
「或春の日暮です。 唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。 若者は名は杜子春といつて、元は金持の息子でしたが、今は財産を費ひ尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になつてゐるのです。」
・・・・・

鈴木三重吉の主催する児童文芸雑誌「赤い鳥」1920に発表された童話。「夜来の花」1921に収録される。中国古典「杜子春伝」に題材を借りた創作。峨嵋山や地獄での体験を夢としたところには「邯鄲の枕」の構成が取り入れられている。

大金持ちになったときは世辞も追従もするのに一旦貧乏になると優しい顔さえ見せない薄情な「人間というものに愛想がつきた」杜子春が、仙人になるために鉄冠子に課せられた「決して声を出すのではないぞ」という命令を守ろうとするのだが、峨嵋山では殺されても命令を守れたが、魂が下った地獄で、畜生道に落ちている父母が鞭打たれるのを見、そして母の声を聞いて「お母さん」と一声叫んでしまう。
仙人になれなかった杜子春は「人間らしい、正直な暮らし」をしようと決心する。それを祝福する鉄冠子は杜子春に「泰山の南の麓の桃の花の咲く家」を畑ごとやると告げて立ち去る。

世俗的な世界を生きる人間の薄情さに愛想をつかし、仙人を志向した杜子春の気持ちが、地獄で再開した母の無償の愛の前に挫折し、人間らしく希求するようになる。童話であるこの「杜子春」は素朴で明るい結末の選択であるが「明るい勇気」ではない。読み終えても、心に「陰翳」が抽出される。最後の鉄冠子の言葉は桃源郷における平和な暮らしを示唆するだけのものである。この不愉快な現実社会で人間らしく生きるためには、何が必要なのか。その答えが示されていない。「泰山の南の麓の桃の花の咲く家」は芥川龍之介が考えた人生の幸福のモデルなだけで「芥川龍之介が人間を代表して「祈り」を捧げている」だけの物語の閉じ方だともいえる。

・・・ですが、思う。当時の(そして今も変わらない)人情に雷同した芥川龍之介が、不愉快で冷たい人生からの逃避ではなく、人間が持つ「人間観・道徳観・幸福観」の中に見え隠れする真実への希求をこの作品にあらわしているのだと思う。人間は人間らしく、と。


芥川龍之介(1892〜1927)の人生認識は、彼の理知による解釈では、もはや耐えられぬ複雑な相を帯び、次第に、不可解な人生に対する畏怖の念に支配されていきます。作品にも苦渋の跡が見受けられ、活字の向こうに登場人物の人生も見えず「わからず仕舞い」で物語を閉じる作品が多い。

・・・
杜子春が凡人になることを喜ぶ鉄冠子。
現実を生きていこうと決心する杜子春。
・・・

「杜子春」に触れる度に、ふと思うのです。
そもそも「わからない」のではないか、と。
「泰山の南の麓の桃の花の咲く家」
ここで過ごせる者は「仙人」だけなのではないか。
人間とは、すべて凡人。
「唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる」
これが人間らしい人間なのだと思う。


・・・・・
「おお、幸、今思ひ出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持つてゐる。その家を畑ごとお前にやるから、早速行つて住まふが好い。今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう。」と、さも愉快さうにつけ加へました。
・・・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?