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真田太平記

『真田太平記』
1974〜1982 週間朝日 連載449回。

「上田はひろい。城を築いて、大きな町を作る。俺の城下町だぞ」
「あい・・・」
「町をつくれば、人があつまる。商売もさかんになる。わしの町にだ」
「まあ・・・」

(愛妾のお徳に真田昌幸は脳裏に浮かんだ城下町を語って聞かせる。)

信州上田は、城下町・北国街道沿いの宿場町として栄えました。「池波正太郎真田太平記念館」から西へ徒歩十分ほどのところに「上田城」があります。かつて上州「沼田城」を北条氏から実力で奪った真田昌幸は、自分の城、その城を支える繁華な城下町を、築きたいと願っていました。昌幸が着眼したのは、父祖の地、千曲川の段丘に開けている上田だったのでした。

『真田太平記』
1974〜1982 週間朝日 連載449回。

もはやこれまでと覚悟を決めていた左平次は妖艶なお江に導かれ、城から脱出する・・・。物語は1582年3月、甲斐の国の高遠城が、織田・徳川の連合軍によって包囲され、武田家が滅亡した時から始まります。周囲の名だたる戦国大名が織りなす勢力図に翻弄されながらも、信州の小さな領国を守る真田家の命運を基調に物語は進行していきます。豊臣秀吉と徳川家康との間では、父子、兄弟が敵と味方に分かれることになります。関ヶ原や大坂の陣を通して、お江をはじめとする草の者と甲賀忍びの凄絶な暗闘が繰り広げられるのも、物語の重要な因子となっています。「真田太平記」には実在した人物と池波正太郎が創り出した多くの登場人物は、虚実ないまぜて数百人に及びます。様々な生と死が描かれて、そこに権謀、怨念、忍従、忠誠、功名、愛憎、など、人間が持つ性と業、欲望と本能も表裏が余すところなく表白されています。
池波正太郎
「昔も今も、人間のあり方というものが、それほど違っていないことに気がつくのだ。と同時に、ひとつだけ大へんに違っていることも出てくる。それは「死」に対する考え方である。」(中略)「戦国の世の人たちは天下統一の平和をめざし、絶えず「死」と「生」の両方を見つめて生きている。ここのところが大分違うのである。そこにテーマが生まれてくる。」

「おれと、お前とは、いつの日か、いっしょに死ぬるような気がしてきたぞ」
左平次は、耳をうたぐった。
はじめは、何をいい出したのかとおもった。
すると、重ねて源二郎が、
「死ぬる日よ」
と、いうのだ。
「真田の庄」1巻

「今をどう生きていくか」を語るモノは、その通り「生」にしか目を向けていないようだ。「死」がわからないのに「生」を語るモノは・・・あやしく思う。そのモノは「死」と「生」の世界を行き来して語られているというのか。そのモノは「生」を検索で済ませて語っているのではないだろうか。「健康がいちばん」と心底思う時は「病気になった時」だという。「生」を語ることができるモノは同時に「死」も語ることができるのだ。

(ここでよい)
槍を手放して、両腕に兜を抱えた幸村が草の上へ腰を落とし、
「あっ・・・」
おもわず、おどろきの声を発した。
(さ、左平次・・・)
まさに、向井左平次がいた。
「血戦」11巻


かつて人々が「生」と「死」を同時に見つめていた時代がある。作者の想像で架空の物語であっても、その物語で涙を流さずにはいられないのは「死」に触れるからだ。物語に感情が揺り動かされざるを得ないのは、「死」と「生」を同時に受け止めているからだ。

「真田太平記」の11巻は、何度読み返しても、泣いてしまう。


・・・・・
左手の木陰に、左平次は顔をこちらへ向け、横たわっていた。
・・・
左平次は、息絶えていた。
・・・・・

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