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吾輩は猫である


『吾輩は猫である』
夏目漱石
1905 初出

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吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
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吾輩は名前のない猫。中学教師の珍野苦沙弥に飼われている。主人は胃弱の癖に大食漢、多趣味でなんにでも手を出すが、移り気でひとつも物にならない。吾輩の観察によれば、人間ほど身勝手で愚かな生き物はない。我執と虚栄の張りあいで、無用のトラブルばかり重ねている。主人の家に集まる人々も変わり者ぞろいである。

夏目漱石は当時、教師生活への嫌悪や経済面の不如意、妻との不和などが重なり神経衰弱を悪化させ、出口のない陰鬱な日々を過ごしていたが、たまたま高浜虚子に誘われて書いた最初の写生文が「吾輩は猫である」だった。主人の珍野苦沙味は、いうまでもなく作者自身である。苦沙味を中心とした登場人物の会話の滑稽さが特色でもあるが、笑いのみに終始せず、次第に自己や周囲の人間の不可解さを自覚していく苦沙味の独白が繰り広げられていく。

苦沙味の内面は外から観察しても描くことは出来ないが、吾輩は『読心術』を心得ている。吾輩は人間の身勝手さや愚かさ、奇妙さに驚き日々を過ごしていくが、次第に吾輩は人間側に深入りしていく。呑気に見える人間社会は、絵に書いた世界ではない。吾輩は観察を続ける中で、人間たちの寂しさを感得するようになっていく。人間たちは憂さ晴らしを求めて酒を飲むという。

吾輩もいささか苦沙味への同情の念を萌し、盗み飲みのビールに酔う・・・。

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