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苦海浄土

苦海浄土
石牟礼道子 1969

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年に一度か二度、台風でもやって来ぬかぎり、波立つこともない小さな入江を囲んで、湯堂部落がある。
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 水俣病の悲劇と真実を世に知らしめた作品です。
経済発展の犠牲者ともいえる水俣病患者たち。
言葉を発することもできなくなった患者たちの「声なき声」。
一介の主婦であった石牟礼道子さんはその声を集め、
この「苦海浄土」を世に出しました。


子供のいのち年間 三万円
大人のいのち年間 十万円
死者のいのち  三十万円
葬祭料      二万円

【乙(患者互助会)は将来、水俣病が甲(工場)の工場排水に起因することがわかっても、新たな補償要求は一切行わないものとする】

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「水俣に異常事態が生じており、地元の全面的協力が得られなければ五ヶ年計画を進められない」「政府の公害認定がなされようとしております。この問題が水俣市の発展に暗い影を落とすのではないかという不安をお感じになっているのではないかと推察いたします」「この暗雲を吹き飛ばし再び水俣に発展をもたらすため会社の決意をひるがえすよう皆様方と手をつなぎ」
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近代産業社会の人間の欲と、自然を破壊してまで遂行しようとする人間の業。
人間達は繁栄と安心を手に入れたがる。そうして
「隠蔽」「責任回避」という弱者を犠牲とする「闇」に飲み込まれていく。


その「闇」に「光」が差し込まれる。
「絶対に許さないから握手をするんだ」
原因企業チッソと患者たちの間の溝を埋めようとする新たな動きが始まる。
そして、憎悪の連鎖を断ち切ろうとする希望が見えてくる。

人間はひとりでは生きていけない無力なもの。
深い悲しみがあっても、人間同士つながれば、光も希望も大きくなる。


小さな「闇」は身の廻りに溢れんばかり。
弱者を犠牲にして、薄い幸せを手に入れる、なんて。
絶対に絶対に嫌だ。
ひとりきりでも「闇」と戦う。
「社会の闇」にたったひとりで戦い続けた石牟礼道子さんのように、と思うのです。

自分の言葉。
文章の最後に、なんとなくカッコつけてみたけど。
壮大な「苦海浄土」に比べたら、本当に小さな世界でのことだから、
引用させてもらうのは、なんだか申し訳ない。
でも、今の僕ができることは、「闇」に飲み込まれないこと。
日々に「希望」を持って歩んで行きたいです。

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