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私の好きな名人たち

📕『私の好きな名人たち』
三宅菊子 1979

「名人・達人を訪ねて」と題して「家庭画報」などに連載していた人物ルポ。滅びゆく仕事の職人たちに、愛情を傾けて取材している。
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八十五歳の自転車乗り・ムツゴロー釣り四十年・巨大な磨崖仏に挑む老石工・大川(隅田川)川並衆の長老格・鳶職、梯子乗り・打ち上げ花火一筋・法隆寺大工・初節句を祝うブカ凧づくり・夫婦で掘り続けた三千体の仏像・女文楽の座長・船の名人、パイロット・鳩待峠の共稼ぎ荷背負い・京都で一番古い髪結さん・鴨の坂網猟・型染友禅の彫り師
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「三宅菊子」
1938年東京・九段に画家の阿部金剛と評論家の三宅艶子の間に生まれる。弟は彫刻家の阿部鷲丸。 下山事件、三鷹事件と並んでの「国鉄三大ミステリー事件」のひとつといわれている「松川事件」の取材に同行。その後、無罪が確定した元被告と結婚。 27歳から執筆活動をはじめ、膨大な無署名記事を書き続けてきた。「週刊平凡」「平凡パンチ女性版」「ELLE・JAPON」「婦人公論」「クロワッサン」「an・an」など主に女性誌を舞台に活躍した。なかでも「an・an」では創刊当時からのメインライターであり、女性の喋りことばを活かした「アンアン調」と呼ばれる文体をつくった人物とされる。2012年8月8日、千代田区の自宅で心不全のため亡くなっているところを発見された。
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1970年の雛祭りに「an・an」が創刊された。同誌は雑誌ジャーナリズムに一大旋風を巻き起こし、その後の雑誌のあり方を大きく変えた。それまでの女性雑誌の二本柱である皇室記事と芸能スキャンダル記事から脱却し、ファッション、旅、ショッピングを情報として伝える誌面作りに徹した。同誌の読者層は、当時二十代前半の団塊の世代の女性たち。

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