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ドリアン・グレイの肖像

ドリアン・グレイの肖像

オスカー・ワイルド 1890

美貌の青年ドリアン。彼の理解者で画家バジルが描いたドリアンの肖像画もまた完璧なまでの美と若さに溢れていた。「若さがある間に楽しむのさ」ドリアンは快楽主義者のヘンリ卿の影響で次第に「悪行」の道へと突き進む。舞台女優シヴィルと婚約するが、平凡な女優に成り下がったと幻滅しシヴィルを捨ててしまう。ドリアンは肖像画が醜くなっていたのを見て驚く。シヴィルは自殺をする。それを知ったバジルはドリアンに肖像画に変わったことは無かったか、と問い詰める。図星を突かれたドリアンは醜くなった肖像画を屋根裏部屋に隠す。そして肖像画を見て気づく。やがて自分は老いていきこの美貌を失うのだ、と。「永久に若々しいのが僕で、年老いていくのがこの肖像画だったら!・・・そのためなら・・・僕の魂でも投げ出してもいい!」彼の美しさは変わらなくなった。何年経っても若さも衰えない。悪魔に魂を売ったのだ。肖像画は、少しずつ醜悪なものへと変わっていく。彼の悪行が増すにつれて、彼の心が醜いまま、犯した罪は永遠に肖像画に残るのである。二十年もの間に数々の人々を傷付けてきたドリアンは、罪に慄き、懺悔と魂の安らぎを求め、過去と決別する為にこの肖像画を抹殺しようと決心をする。ナイフを手に持ち、肖像画のある屋根裏部屋へ向かう。
・・・悲鳴を聞き駆け付けた人々が見た光景は・・・

人間としての精神を捨ててしまった者の心は決して幸福にはなれない。本当の幸せを見つけることも出来ない。まして。良心を知らずに人々の為に本当の善行など出来る訳がないのだ。

罪を犯す度に罰を受け入れる・・・それが己の為になる。
心の成長への道なのだ。人生だ。
ドリアンは罰を肖像画に閉じ込めていたといえる。
罪の多さ=罰の多さ・・・ということか。

永遠の若さなんて幸福には関係ない。

「ほんたうのしあわせ」
・・・そういうことか。

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