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ご縁も動いていくけれど

わたしには大切に思う人が皆さんと同じようにたくさんいます。こんな風にいえるようになったのは多分、最近。昔は、というかちょっと前までは、好きな人って恋人くらいだと思ってた。

完全にその頃は「恋愛依存」の状態が、常態化していたんだと自己分析。恋をしていないとワクワクしない、そんな状態が年単位で重なっていた。恐ろしい。自分でも。

確かに、恋愛をするとアドレナリンが出たり、アップダウンがあったり、とても楽しい。薬みたいなもんだ。でもそれは依存だったんだと。「薬=依存」って構図ありがちでしょう。離れられない存在。

好きなものに対する自信がないと、結局追いかけるスタンスになりがち。わたしは少なくともそうだった。追いかけることが楽しかった。そして、献身性を出すことで自己満足に陥っていた気がする。おそろひ。

今は穏やかな毎日とはいえ、ワクワクしたり、感動したり、とても安定しているのはきっと、恋愛というものが一度頭の中で終わっているからだと思う。それよりもわたしは、本当に大切に思う人に縁を切られることが一番怖い。でも、それも運命というならば仕方ない。

しかし「縁を切らないための努力」も必要なのではないか。わたしは最近、「この世の中は、なるべくしてなっている」と考えるようになった。それは受動的であるが逆に能動的でもある。なるべくしてなっているということは、能動性がある行動もまた、なるべくしてそれを起こしているということ。なるべくしてなるように、わたしも努力すべきなのだ。

人に尽くす礼儀。それをまっすぐに静かに行うことは難しいがそれは、その人を大事にしている証。

何ともいえないこのご縁を、わたしは切れないように、努力したい。だって、とても大切だと思っているから。

とりあえず、脚のマッサージを開始しよう。


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