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ささめごと

「ささめごと」
心敬 1406(応永13年)〜1475(文明7年)
(室町時代中期の天台宗の僧。歌人・連歌師・仏道者。)

・・・世の中のはかなき睦物語の折節には、踏み知らぬ和歌の浦わの暗き道まで、互ひに忍びあへず、うち出でぬる言の葉の末、うつつ心なき事に侍れども、これは伏屋が下のささめごとなれば、壁の耳もおぼつかなからず。・・・
・・・余々の無常とて、物ごとにふれて忘れざるは、菩薩大悟の位なり・・・

人間は一日一夜のうちに八億に及ぶ思いを思う。歌・連歌についての思いをいい加減に扱うのは罪深いことである。どのような道の修行においても、日常の稽古と、自己をどのように表現するかという問題とは異なる。どれほど仏教経典や歌の書物を見ても、その間の微妙な問題点を自分で会得することができなければ、その道の奥義には達することは出来ない。西行上人も、歌道の修行は、そのまま仏道修行における悟りの途への行程と同じなのだと述べている。歌道と仏道、この二つは見かけはニであるが、実はニではない。歌道と仏道は真理を求める点においては一である。

・・・言わぬ所に心をかけ、冷え寂びたるかたを悟り知れとなり。境に入りはてたる人の句は、この風情のみなるべし。

仏道と歌道は相容れないのだろうか。歌道に拘らず、この世には色々な「道」がある。それら、どんな「道」も入道の妨げになるのだろうか。
心敬の晩年時代は応仁の乱(1467〜1477)で都も荒れ果てていました。
「民もつかれ、都もおとろへ果てゞ、よろづの道万が一つも残らず」
人の世は常に「つらい」ものなのです。余々の無常、物事に触れて「道」を求めて行くことは、仏道の修行と同じ。どんな「道」も生きる上で役に立つのです。

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