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辺境の食卓 野尻湖から

📕『辺境の食卓 野尻湖から』
太田愛人 1976

「我らの日用の糧を今日もあたえ給え。」

執筆者の太田愛人は岩手県盛岡市出身の牧師。同郷の詩人・童話作家の宮沢賢治と同じ盛岡農林専門学校を卒業。柏原信濃村伝道所に赴任していた時期、月刊通信誌「辺境通信」の発行人をつとめ、信濃村(現信濃町)での生活を誌に綴った。「辺境の食卓 野尻湖にて」は、それらを一冊の本にまとめたもの。「辺境への道案内」で始まる章で信濃町の暮らしと風景を描き、続く「辺境の食卓(香り;色;味 ほか)」の章で、「食する」ことを中心に信濃町で食材の種類、手に入れ方、保存方法、調理方法などが記されていく。
・・・なかなかのキレっぷりで、面白い。
「田舎の蕎麦はツユが・・・と通ぶるひとがいる。長野の北で出来る辛味の強い北山大根に生醬油をかけたのをツユにして食うのが、最も蕎麦に相応しい野趣に飛んだ食い方。」
・・・これ、僕は前に「黒姫駅の蕎麦」の時に書いていた。池波正太郎を出して「通」ぶった。(バレないか、と思いつつもね。)また、「魚屋でおろしてもらう女は旨いものを語る資格はない」とも記していて、この辺り「美味しんぼ」の(初期の)山岡さんのようです。(参考にしていたのでは)そして、食の知識、食の歴史、食に対する本来の姿勢、食を分け与えてくれる自然への感謝。ここが雪深い辺境であるという事を忘れて、日本中に飛び出していくかのように語られます。・・・やはり山岡さんらしく、少し攻撃的。でも要点は抑えていて、後味よく理解をさせてくれる。
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「人間の元に材料を集めるのではなく、人間が材料のあるところに出ていく。」
・・・公魚、山鳥、兎、鴨、狸
辺境食事はマタギの食卓。空腹が最上のご馳走であるのも真理。
・・・杏、ルバーブ、梅桃(ユスラウメ)、スグリ、グミ、桑、ラズベリー(木苺)
赤いビーツの一片の上に、純白のヨーグルト。「白地ニ赤ク」は日本人が愛してやまぬ配色。
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自身にて「ルバーブの宣伝本のよう。」と記している。
ルバーブは明治初期に日本へ伝えられましたが、生食における独特の風味が好まれず定着しませんでした。1920年代には野尻湖畔や軽井沢などで、外国人避暑地の周辺で在留外国人向けに栽培が始められました。筆者は、全国的には知名度が低かったルバーブをこの著書で紹介し、外国人が他県からルバーブを仕入れに来訪する様子をもこの書に記しています。
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「軽井沢にて―カナダ的視野」
「野尻湖から」
と続く章では、文体が一気に変わり、丁寧な解説者となる。優しい牧師さんになっている。満腹は七つ罪のひとつ・・・だからかな?
「食すること」には、あれほどキレッキレだったのに、いきなり「美味しんぼ」の栗田さんにとって変わった。こんなところも面白い。

🖌️
宮沢賢治と一度だけ会ったことがあるという盛岡市出身の深沢紅子さんが本書の装装幀と挿画を担当しています。深沢紅子(1903〜1993)岩手県盛岡市出身。堀辰雄や立原道造らの本の装幀のほか、童話の挿絵なども多く手がけました。夫深沢省三も洋画家、童画家。軽井沢町に「深沢紅子野の花美術館」、盛岡市にも同名の美術館があります。

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