見出し画像

エッセイストのような

“エッセイストな生き方をしたい”
1年前、日記にこう書いていた。
エッセイストは、あたりまえの日常からしあわせを見つけることが得意だと思う。
わたしも、そんな生き方がしたいと憧れていたのだ。

それから、そんなきもちも忘れてしまって、1年以上がたっていた。
エッセイストのように生きたいというきもちを思い出したのは、書店で松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」という本を見つけたとき。
本当にエッセイストになるつもりはなく、「エッセイストのように生きたいと思ったこともあったな」と、軽い気持ちで手にとった。
弥太郎さんのエッセイは日常のきらめきを詰め込んだ宝箱のようで好きだったし、本の手触りも気に入って家に連れて帰った。

読み進めるうち、エッセイストの「ように」生きたい、エッセイストの「ように」感じて、考えたいという思いが、実際にエッセイストになりたいという気持ちに変化していった。

わたしは、物事を悪いほうに考えすぎてしまうところがあって、悩む日々も多いことに嫌気がさしていた。
そんなわたしにとって、エッセイストを目指すことは「希望の光」となった。

感情の動きをスルーせずに考え抜くこと、「生き方」にこだわることは、今はマイナスに感じているけれど。
エッセイストにとってはプラスの能力なのかもしれない。
そして、ありのままの自分の生活にもしあわせや、喜びがみつけられるようになったら、希望に満ちた明るいきもちで過ごせるかもしれない。
読書好きの自分は、本を通じて違う人の考えをなぞるのが好きだけれど、わたしがエッセイをかくことで同じように、だれかの気づきになることもあるかもしれない。
さらに、「生き方にこだわること」は、自分で自分の生活をつくる感覚を思い出させてもくれるはず。

いろいろな希望の光がみえて、わたしはエッセイを書くことにした。

ここで、ひとつ大きな不安があるのだ。
それは、わたし自身あまりエッセイを読んでこなかったこと。
今まで、気になる情報が得られる実用的な本や、自分が住むのとは違う世界に連れて行ってくれる小説を読むことが多かった。
エッセイは、「料理王国」などちょこちょこ読んでいたものの、「エッセイとはなにか」と聞かれても答えられる自信はないのが正直なところ。
読んでいる本がエッセイなのかどうかもわかっておらず…。

でも、最近は他の人の生活やこころに興味があることもあって、エッセイに惹かれているのだと思う。
「エッセイストのように生きる」を読んでエッセイストになりたいと思った人は、たくさんいるはず。
その方と出会えるのも楽しみに、これから書き続けていきたい。
そう思って、まず一歩、踏み出したところ。

ねじばな。
読んでくださりありがとうございました🌸

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?