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ピアノに想いを寄せて

今、クッツェーの「ポーランドの人」を読んでいる。これはショパン弾きで有名なピアニストが人妻に恋をする話だ。ピアニストはポーランド人、相手はスペイン人のベアトリス。ピアニストは始終名前で呼ばれることはなく、「あのポーランの人」と言われる。それには訳がある。とこれ以上書くとネタバレになるのでやめておこう。ところで私はピアノを弾く。独学だから上手くない。若い頃はアマチュアピアニストになりたい時期もあった。特にショパンが好きで、その小説の中で「何故ショパンはポーランドに帰ってこなかったのか?」という談義が出てくると嬉しくなる。その辺りのショパンの心情を知りたかったらショパンの日記を読めばいいかもしれないけど、本屋で立ち読みした時、顔が赤くなった。お呼ばれした先で間違えて家の主人の寝室に入ってしまった気まずさがあった。「これはあかんでしょ、あかんやつだよ、あかん、他人の日記を盗み読むなんて。ショパンが知ったら激怒でしょ」というわけでショパンの初恋の話は赤面ものだった。ピアノは楽しい。いつもイメージしていることがある。それは演奏する楽譜の作者が隣に立っているイメージだ。作者は言う。「そこ、もっと伸ばして、そこ、テヌートでしょ?ああ、違う、君、何年ピアノやってきたの?」こんな感じでショパンが叱るのだ。はっきり言って妄想だけど自分にとっては最高な気分だったりする。そうして楽譜の指示を味わいながらレッスンする。誰に聞かせることもない。でもピアノのあのなんとも言えない甘美な音が私の耳を刺激してくれる。ああ、綺麗。ピアノっていいな。大人になってから始めたピアノではなかった。小学生の頃、耳で聴いた音をピアノで演奏できた。(簡単な曲ならね)ある意味才能があったんだと思う。でもうちにはピアノはあったけど習うような金銭的な余裕はなかった。必死になって楽譜なしでレッスンした。一人だったけど楽しかった。そのうち少し楽譜が読めるようになってくると姉が小さい頃習っていた頃のバイエルンの中に出てくるアラベスクを弾いてみた。まるまる一曲を弾ける喜びはあったが曲が気に入らなかった。その頃、ブームになっていたのはフランス人のリチャードクレーダーマンだった。甘いメロディに可愛らしいトリル。すぐに好きになった。トリルの練習をなん度もしていたのを思い出す。いまだに下手だけど。よく考えるとリチャードクレーダーマンはショパンの簡単バージョンだった気がする。ショパンの曲を生まれて初めて弾いたのはもうそれから大人になってからだった。雨垂れを選んだのは簡単な曲に聞こえたからだ。同じラ音の繰り返し。雨粒の音だ。私は星飛雄馬になった。強制ギブスをつけているように動かない指。その固い指を言葉で誘導する。自分で自分にダメ出ししながらだ。やっと形になった頃、病気になって入院することになった。それからまたしばらくピアノとは縁がなくなってしまった。でも三年前にカワイのデジタルピアノを買ってまた弾くようになった。ちょっとお高いデジタルピアノだけど生ピアノほど腕があるわけじゃないしね。でもいつかは生ピアノが欲しい。それまでにノクターン、制覇しておきたい。目標はバラード1だ。難しいけど、何時かは演奏してみたい曲だ。あの凛々しい貴族が弾いているような曲、憧れだ。今練習しているのはノクターン9-1。アシュケナージ先生が上手いことやってくれてる。


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