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密かな楽しみはピアノを一人で楽しむ事

今、無料サーバー使ってWeb作ってる。
自分が死ぬかもって思ったら一番の心残りというか、もうそれしかないんだけど詩集をどうするかだった。

だからって突然自費出版とか金銭的に無理だし本を作って友人に配るのもいいけど寂しすぎる。Kindleで発表するのがいいけど、それは少し時間かかりそう。というわけで昔デザイナーやっていたこともあり、自分が一番やりやすい形を残すということでWebにした。

平行してKindleも考えようと思う。小説は自信ないけど詩は自由だから。だれかに評価されなくても有名でなくても詩人は詩人だから。どんな形でも堂々発表することにした。

毎日のように詩を書く。
それは息をするようなものだ。
言葉が浮かんでくる。
流れてくるように⋯⋯。

ここで詩を書いている人もそうだと思う。
私のフォロワーさんたちの詩はいい。じっくり読むことも多い。
私もそんな詩を書きたい。
ただスキのお返しのためにスキされるのは寂しいよね。

でもこれだけは私できないのは、小説にスキすること。
ちゃんと読まないと悪い気がする。
だからちゃんと読んでるのにはスキするし、読めないほど長いものは時間を使うから読めない、だからスキしない。その辺はすいません。
正直者ということで許してください。

その代わりといったらなんだけど、エッセイは読むのが好きでよくスキする。
人の考えていることって面白い。自分では思いつかない発想とか生活感とかが見えてくる。

そういえば新しいお題が出ていた。どうしようかな。

これ、本格的に学びたいことでしょ。たぶん。
資格とか学校とか⋯⋯。違うのかな。
いや、もう勉強とかうんざりで、できることっていったら広辞苑読むくらい。
それ勉強かといったら、どうなんだろうか。

自分にとっては、かなりの勉強だが。それはネタにはならんな。
そうだ、今度自己紹介のところに広辞苑で勉強してますとか真面目に書こう。
今回はたぶんパス。もっと書きやすいお題が出ないかしら。

勉強といえば思い出したのはピアノ。
私は独学でピアノ弾いてるけど基礎がなってなくて小指が曲がってしまった。
一時は嵌まって半日も弾いていたことがある。
その時の負荷がきたのだとう思う。

それで大人のピアノに通ったんだけど、担当の先生が情緒の不安定な人で日によって態度が違うということがままあった。
その日は明るく元気かと思えば、次の時はどんより暗くて落ち込んでいるという感じだ。女性だからある程度の気分の上下はあるだろうけど、事実、私もそうだし。あまりにも不安定でこっちの気分まで落ち込んだりしてしまった。

それでやめてしまったという経緯がある。
その学校に行くまでにも自分に合う先生を探して何人かにあたったんだけど、使っているピアノが調律されていないとか、鍵盤がやたら重いとか、ひどい人になると好きなピアニストの名前を言ったら、鼻で笑ったりする先生もいたり、中々難しかった。

やっと見つけて通ったのに、やめるはめになって、かなりがっくりしたことがある。やっぱ先生との相性ってあるよね。

今でもピアノはたまに弾いている。昔ほどではないけど、ショパンが大好きなのだ。
指に負担のないおたまの配列、情緒的な出だし、玉手箱みたいなお話を聞かされているような曲。こそばゆい楽しい曲。壮言で豪華な曲、七色に光ったような楽譜が譜読みをしていて嬉しくなる。

楽譜から作者の息遣いが伝わってくる⋯⋯。

練習は主にバッハでやってる。基本的な指の動きが必要だからだ。それに旋律が美しいし。

専門的に習っていないから表現は稚拙だけど、その代わりオリジナリティのある表現だと思ってる。誰かに教わることがないことで色がついていない。
こう書いていたら、私のピアノに対する姿勢は詩作と同じだと思った。

どこかで誰かに聴かせることのないピアノだけど癒やしの時間になる。
それが大事。一人だけの楽しみ。それが喜び。
確実に生活を豊かにする。

でも詩の場合は、やっぱり誰かに読んでもらいたいな。


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