見出し画像

言葉と発信、できることとできないこと【起業まであと約5年】

フリートークができない。
これはもう昔から、もはや幼稚園の頃には周りの子より話すことが少なかった気がする。話せないから友達もあんまりいなくて、場合によっては一人もいないこともあった。

話ができない、人とかかわるのが苦手、という意識はいまだにあるのだけど、今その捉え方は大いに変わったなと思う。

前業営業だった。
話せないのによく営業職に、とも思うのだが、「話を聞く」のは好きだった。
その営業の募集広告はだいたいこんな感じ
「町の人々の話を聞き、記事を作成するお仕事!最初は上司に同行し仕事を覚えてください。」

いろんな人に会って取材して文章を書けばいいのだ…!と思い、文書を書くのが好きな私は飛びついて、面接を受けたら合格。引っ越しまでして仕事についた。

蓋を開けてみればちょっと懐かしいくらいザ・営業。
テレアポ・飛び込み、朝礼、日々の喝。

いつも胃が痛いくらいにはしんどかったけど、そのしんどさは上司がいい感じに締めてくれるのとアポや契約が取れないことへの焦りであって、お客さんと話すことへのしんどさではなかった。

そう。話すのが超苦手なのに、お客と話すのは意外とダメじゃない、どころか結構好きであることに気付く。
むしろ机の上でじっとしているよりも、あちこち動き回って話を聞きまわる仕事の方が向いてるなとすら思った。気付いたら謎に「新規顧客獲得数」的なので表彰されていた。

現職は事務職、基本はオフィスワークである。
同じ事務所にいるのは2~3人なのでほぼストレスがない。
何かあればちょいちょい相談して解決していけて、無駄な会議、打ち合わせ朝礼、ラジオ体操もない。無駄がないの最高。人数が増えるほどに効率は下がるのではとさえ思う。

何がダメで何が大丈夫なのか。
職場が大人数でしーんと静まり返った環境だった頃は結構気疲れした。それと社内人間関係。だいたいいつもお昼は外で一人で食べていて、お金もないので公園とかで過ごしていた。会社の人に見られたらやばい奴だと噂されたかもしれない。それでも、社内の人と毎日にこにこ会話するのはどうしても苦手で、つい一人にになってしまう。日々何を話せばいいのだろう、と思うだけで苦しくなる。

Twitterの投稿でどなたかが「コミュニケーション能力はあるけどコミュニケーション体力がない」と言っていた方がいた。ものすごいなるほど感がある。要するに、必要なことは意思疎通できるけど、飲み会の最後はぐったりする、的なことらしい。自分の性質をここまで的確に押さえた概念に震えた。まさしくそうなのだ。
さらに私の場合、必要なことはある程度的を得て話せるけど、余計なことはしゃべれない。だから飲み会ではいつも、上司の話に相槌を打って過ごしている。あとは適当な質問を投げかけてしゃべってもらっている。

小学校の頃は特に「友達は多い方がいい」というのが当然だったから、話ができず友達ができない自分は本当にダメな奴だ消えた方がいいとすら思っていた。けどこうしてどうにか生きてきてしまった結果、その中でもできることとできないことがあるし、友達は多い信仰なんて「インドア派とアウトドア派どっちが正しいか」くらい本当にどうでもいいことだった。それよりも苦手を苦手のままにせず、自分なりにその課題にどう立ち向かうか、が大事なのだろう。まじで自分偉いわぁ。


そんなことを思う
【起業まであと約5年】です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?