【短編小説】のぞく
目に入ったのは本当にたまたまだった。電車で偶然隣だった初老の男性が、スマホを開いていた。車両が全部埋まるくらいの混み具合だったので、肩が触れるのは仕方のないことだ。むしろ座ることができない混み具合のなか、こうして席に座ることができたのはありがたいくらいだった。
メモ帳らしきアプリに入れている文字を、改めて打つでもなく、男性は眺めていた。自分は背もたれにしっかりもたれて、男性はスマホを胸の前に置いて眺めていたので、自然と見えてしまった。その画面を見て、あ、と口を開けてしまった。
『あきらのことを東堂さんと話した。きっとがんばったと思うと。2人ではなしていると、あきらがまだここに帰ってくるような気がして、つらくなってしまった。こういうときに新興宗教にはまってしまうんだろうなあ』
さっきまでただの出勤前だったこの時間が、一気に変化した。腕に鳥肌が立ち、悪いことをしてしまった時のように顔をそむける。ごめんなさいと言わなければと感じて、ギリギリのところでやめて、口をつぐんだ。
この世には自分以外の人間がたくさんいる。その人間全てが、たくさんの感情を抱えて生きている。生まれたり死んだりを繰り返している。そんな簡単なことをどうして、こんなにすぐ忘れてしまうんだろう。
そうして膝に乗せていた鞄に力を込めると、スマホを持っている男性が、小さくみじろぎした。
おわり
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