見出し画像

【短編小説】

希死念慮が切迫している時ほど、人間はネガティブだし、けど、割と元気なのかもしれない。

うつ状態の場合よりも、そこから少し回復した時のほうが人は死ぬし、危険だとよく聞くし。

かく言う私も、今そんな状態だった。

数週間前、病院から処方してもらった薬を飲んでいた。
寝込んでいる時よりも、体は軽い。どこまでも歩いていけそうな気がする。

なのに心は、早く命を絶たなければと考えていた。

急がなきゃいけない。

私は一刻も早く、この世から退場しなければいけない人間なんだ。

そう思いながら、家を出てきた。

道具なんて何もないので飛び降りるしかなく、だから、坂を登ってきた。知らない道路を彷徨う。たまにすれ違う車から、怪訝そうな運転手が上下ジャージの私を見ている気がする。

それでさらに、早く、早くと焦る。

道路の先には、知らない住宅地が広がっていた。山の上を開発して作った家たち。いろんな種類の光が家の中を照らす。湖畔のような静寂さをたたえた建物たち。

視線の先にガードレールが見えたので、身を乗り出して下をのぞいてみる。
奈落のような暗闇が広がっていた。

もしかしたら池があるのかもしれない。

遠くからカエルの無愛想な声が聞こえる。

ガードレールから身を乗り出したまま、両手をつけたまま、頭からいくつもの声が聞こえる。

早く飛び降りろ。

いなくなれ。

くるしさから解放されたい。

なんで私がこんな思いしなくちゃいけないの。




落ちたら絶対、痛いよな。




結局私は、飛び降りなかった。

死んで意識がなくなるのは良いけど、痛いのは嫌だった。

苦しみたくない。


気がついたら私は、道路にへたりこんでいた。

両目から大粒の涙があふれては落ちていく。

私、死にたくないとかじゃなくて、苦しみたくないんだ。


この時はじめて、自分の気持ちに気がついた。

いつもよりも近くて大きい月が、おせっかいのように、私を照らしていた。


おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?