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【短編小説】旅路

皆さんは旅路と言ったらどういうものを思い浮かべますか。

 人生?ああ、そうですね。人生は長い旅路のようなものですよね。最初にそれが思い浮かんだのは凄いことです。

 あ、ちょっと、辞典で調べちゃうのはなしですよ。

 最初に考えて、最後に答え合わせをするんです。じゃないとつまらなくなっちゃいますよ。

 そう、皆さんスマホからは手を離してください。
 自分の頭の中だけで旅路がどういうものかちょっと考えてみてもらえますか。

 卒業式がおわったら旅路感がある?ああ確かにですね。

 皆さんは、卒業したらやりたいこととか決まっているんですか?決まっていてもいなくても、なんだか私から見るとキラキラしていてうらやましいです。

 私なんて、月のお小遣いは一万円。

それ以上に何か買いたいものがあれば必ず相談。
あ、一万円以内で、お昼も全て済まさないといけないんです。お弁当も用意してくれないのにですよ。

ちょっとひどすぎますよね。

あ、皆さんのお父さんとは比べないでくださいね。こういうのは、個人や家庭で価値観が違うものなので。

 ああごめんなさい。話がそれてしまいました。

 え?なんでそんなこと聞くのかって?

いやあ、私の授業今日で最後じゃないですか?

本当は、教科書を少し開いてお話ししようかなと思ってたんですけど、なんだかちょっとつまらないような気がしてしまって。

 昨日寝る前にふっと思い出したことを喋ろうかなぁって思ったんです。


 そう、じゃあこれから私の話を聞いてもらえますか。

 私ね、ぶどうが大好きなんです。

 流行りのレモンじゃなくて。

あれ、レモンが流行ったのはもうだいぶ前になっちゃったんですね。よねづけんしの。

あの人、本名なんですよね。
それぐらい先生だって知ってますよ。
ああ、これ以上は聞かないでください。どうせ皆のほうが詳しいんだから。流行って過ぎ去るのがほんとに早い。

 そうそう、ぶどうの話でしたよね。

で、今ぶどうって旬じゃないですか。スーパーとか行ったら並んでるし。

 でも、好きだなぁと思う分だけ買って食べていると、お金が全然足りないんです。

だからなかなか食べられない日が続きました。

果物ってほんとに高いですよね。毎日食べてる人とかすごいお金持ちだなぁって思っちゃいます。ほんとうにうらやましい。

 そして、私はぶどうを、とある記念日に買おうと決めたんです。

 それでね、もうその日までに完璧にコンディションを整えておいて、家のカレンダーにも書き込んだんです。

 すごい気合の入れようでしょう。

 それぐらい私にとって、ぶどうを食べるっていうのはとても特別なことだったんです。

 毎日、数週間後にぶどうを食べるんだ、一週間後にぶどうを食べるんだ、五日後食べるんだ、三日後に食べるんだって思いながら眠りについてたんです。

 実は皆さんとの授業中にもこっそりぶどうのことを考えている時がありました。

ここで懺悔させてください。

走れメロスの時、私の頭の中では、セリヌンティウスがぶどうを持ったまま、メロスを待ってました。必死な形相で。

 でね、ついにその日がやってきたんです。

 今日こそあのスーパーに行って何種類かあるぶどうの内、一番高いものを買ってやろうと、勇み足で、財布にぶどうが買えるだけのお金を用意して行ったんです。

 でね、そしたら、なんとその日ぶどうが売り切れてたんです。

 置く場所が変わったのかなあと思ってスーパーの中を何回もぐるぐる歩きまわりました。

 まぁでも、ぶどうの売っている場所なんて、たかが知れてますよね。
お店の入り口の、野菜の近くのあたり。そこになくてほんとに絶望しました。

 どうしても諦めきれなくってめったにしたことがない、店員さんに聞くっていうのにも挑戦してみました。

 でね、店員さん曰く、やっぱり今日は売り切れたと。
 いつもはいろんなぶどうがあるのに、なんで今日に限ってないんだろうと思ってしょんぼりしていると、店員さんが、昨日の夜に試してガッテンでぶどうの特集をやってたらしいですよと、教えてくれました。

 テレビって普段全然見ないし、最近の皆さんたちのような若い子たちって、YouTubeとかネットばっかり見るって言うじゃないですか。
だからテレビなんてもうとっくに衰退してると思ってたのに、本当に、まだまだ全然ブイブイですよね。
 
 でね、まぁ店員さんも、自分が働いているお店にないんだから、もうどうしようもないじゃないですか。

 だけど、近隣のスーパーならもしかしたらあるかもしれませんよって一声かけてくれたんです。
自分の中にはその発想はなかったから、なるほど、と、思いましたね。

 それでね、そのスーパーを飛び出して、違うお店に行ってみたんです。

 車持ってないから歩きで。

 え?ああ、皆さんにもし自転車を借りることができたとしても、操縦できないので無理ですよ。

 でね、何店舗か周ってみたんですが、ことごとくぶどうだけないんです。

 りんごや、なしや、バナナや、キウイはあるのにですよ。

 中にはドリアンはあるのにぶどうがないお店もあって本当に納得がいかなかったです。

 それでね、そこであきらめればよかったと思うんですけど、全然そんな気分にはなれなくて。

 だってね、さっきも言いましたけど、ずっとずっとずーっと楽しみにしてたんですよ。

誰にも言わずにね、まあ、妻の仏壇にと思ってたので彼女にはバレてるとは思いますけど、結局そのあと、全部ひと房、まるまる食べられるのは自分だけだから。

 あ、そうなんです、妻はもう他界してるんですよ。

 ぶどうを食べようって決めてた日は妻との結婚記念日だったんですよ。

まぁだからといってどうってことなんてなかったんですけど。たまたまなんですよ。

たまたまぶどうが食べたいと思ってた時期と、結婚記念日が近かっただけで。

 え?あ、お小遣いは、娘がくれてるんです。

同居してるので。
目を離すとすぐ散財するからって、二年前位からこんな感じで管理されてるんです。

もう苦しくてたまらないですよ。
バーや居酒屋に行くのが大好きなのに。
相談すればすんなりくれるんですけどね。
その相談が苦痛なんです。

 ああそれでね、結局何店舗、回ったと思いますか?

 百店舗?ああもう、こういう時に高めの答えを言わないって、バラエティーとかで習わなかったんですか?

 あ、YouTubeしか見ない。なるほど。

 まぁ結局、答えを言うと、十店舗回りました。
徒歩でですよ。老体にムチ打って、ですよ。

 いやーもう体が悲鳴を上げるどころじゃなかったです。

 もう最後のほうは感覚が無くなってました。

腿のあたりからね、ロボットみたいにギギって音がした気がしました。

 そうですね、だからこの間からずっと座って授業してるんですよ。ははは。

 え?結局ぶどうは食べられたのかって?

 それがね、なんと食べられたんですよ。

 でも、スーパーには全然ありませんでした。いえいえ、なぞなぞなんかじゃないですよ。

 実はね、娘がぶどうを買ってきてくれてたんです。

 しかも種ありのを!

 ためしてガッテンでもやってたらしいんですけど、ぶどうって種ありの方がおいしいんですよ。
しらなかったでしょ?

 まぁでも、今はどこも種無しばっかり取り扱ってますけどね。

スーパーじゃなくってお高い百貨店とかの地下にある果物売り場で買ってきてくれたんです。

 すごいですよね。とうてい手が届かないようなぶどうです。

 一緒に住んでましたからね。
日々ぶどうを楽しみにしている父親を、娘は哀れみながら見ていたんですね。

 娘はテレビっ子なので、ためしてガッテンも見ていて、これは予定日に、スーパーではぶどうを買えないだろうなと予測しての行動だったらしいです。

 なんというか、わが娘ながらすごい計画性ですよね。

 本当に両親のどちらにも似ない賢い子に育ちました。

 それでね、その夜は、泣きながらぶどうを食べました。

 ああ幸せだなぁって笑いながら、妻の仏壇の前で。

 昔妻と一緒に、初めてのデートでぶどう狩りに行ったことを思い出しながら。

 そしたらね、ふと、自分の人生の道を振り返った気分になったんです。

ぶどうの香りのせいなんですかね。

え?
ぶどうに香りなんてあるかって?

ありますよ!
今度嗅いでみて下さい。ほのかに、優しく感じますよ。

 そう、皆さんには、仰々しいことじゃなくていい。

 こんな、ただの日常を、人に話したら全然大したことがないような世界を、歩いてほしいなあって思うんです。

 気がついて後ろを振り返ったら、ああこれが旅路だったのかなあって気がつく程度のね。

 え?
結局、旅路は人生って言うことで間違いなかったんじゃないか、ですって?

 いやあ、そうですね。

 最初に言い当てられちゃったから、心の底ですごくハラハラしながら話してました。ははは。

 どうでしたか?旅路の意味、辞典で調べてみます?

 まあ、文字の通りなんですよ。

 旅の路ね。辞典で調べたって、それ以上の解説は出てこないですよ。せいぜい二、三個程度。

 言葉っていうのはね、人と同じで、自分で価値や感じ方、意味を付け足していくものなんです。

 だからこそ美しくて、難しくて、儚くて、心強くて、頼もしくて、不安定で、愛すことができる。

 で、皆さんはここまで聞いて、旅路と言ったらどういうものを思い浮かべますか?

 人生?

 卒業式のあと?

 それとも、ぶどうが食べたくてスーパーをはしごするおじいちゃん?

 おわり

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