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真我の軌跡

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真我補の本質は存在するということだけですが、この世界から見たときに、それは72の概念として言い表すことができます。
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2024年6月の記事一覧

真我の軌跡(21)沈黙

真我は沈黙して何も語らない。 何の意図も持ち合わせず、わずかな願望すらない。 そこで何かを語れば、真我に偏向を生じさせる。 偏向が生じたものは、真我から離れた何かになる。 沈黙しているからこそ、それは真我たり得るのだ。

真我の軌跡(20)慈愛

真我は慈愛に溢れている。 誰の心の中にもあって、その灯火を絶やすことがない。 自らを求める者に、いつも道を用意して待っている。 決して見放すことなく、どんな時でもすぐ側にいてくれる。 無条件で抱きしめ、慰めることを惜しまない。

真我の軌跡(19)幸福

真我は幸福そのものを体現している。 そこでは苦悩や欠乏が起こらず、穏やかで満たされている。 そうなるように努力して何かを成し遂げたわけでもなく、 必死に幸福を壊さないように守っているわけでもない。 その本性が幸福であり、つまり幸福だと宣言するまでもないのだ。

真我の軌跡(18)至高

真我だけが至高ということができる。 それがこの世界の頂点であり、それ以上という場所がない。 「高みを目指せ」と聖者は言ったが、確かにその高みはあるのだ。 まだ見通せない場所があるのなら、それはまだ至高ではない。 すべてを見通せる場所で静止したなら、 それは真我という至高に至ったのだ。

真我の軌跡(17)勝者

真我だけがこの世界唯一の勝者だ。 どれだけの強者でも、これに勝つことはできない。 真我に戦いを挑んでも、触れることさえできないだろう。 真我は世界の頂点にあり、そこから陥落することもない。 この世界の誰もがこの勝者になることができる。

真我の軌跡(16)富者

どれだけの富があっても、真我は超えられない。 真我だけが真の富者ということができる。 すべてをその手の内にし、必要なものなど何もない。 それらを失うことも、奪われることもない。 真我は何の努力も執着もなく、すでに富者として在る。