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詩/ ビオランテ

何者でもない花。

私の体には骨があります。

腕があります。口があります。目があります。鼻があります。

私の体には花が咲いています。

 

けれども、

 

私の心には骨はありません。

腕はありません。口はありません。目はありません。鼻はありません。

私の心に花が咲いています。

いつも、

私の花は小分けにされたり、十把一絡げに売られたりします。

あるいはもっと、

解釈され、解体され、解剖され、片付けられて、

いつのまにやら忘れられて埃をかぶる。

路上に横たわるホームレスのように、

再生回数数十回のユーチューバーのように、

夢を語ったリーダーのように、

私の花は置き去りにされる。

 

私の花は未だ咲いていないのに、

勝手に咲いて、枯れて朽ちて、初めからないものとされる。

私の体はここにあるのに、私の心はないものとされる。

私の心に花はあるのに、私の花はないものとされる。

不自由で窮屈な肉の体がヒトを強要する。

憎々しい肉の体は空っぽのガラス瓶かもしれないのにお前はヒトだと強要される。

 

だから私は消えたくても消えられない。

どこもかしこも花びら舞い散るヒトの世に一人倒れる場所もない。

私は多くの誰かだ。

私は多くの花だ。

私は私を私と規定できない空っぽのヒト。
私は私を私と規定する何かを持つ一輪の花。

私は私の花に名前を付けたことはないのに私の名前は勝手に決まっている。

アネモネだとか、

胡蝶蘭だとか、

ダリアだとか、

いい人そうだとか、胡散臭いとか、意識高い系だとか、鼻につくとか、

差別主義者だとか、どうせ売れないとか、くそ親だとか、終わってるとか、

流行らないとか、ニッチだとか、金にならないと価値がないとか、

いいように、空っぽの体に適当な花の名前が詰め込まれて捨て置かれる。

空っぽのガラス瓶に私の知らない名前が溢れて、

私はいないことになる。

冗談じゃない。

私は決まっている。

決めるのは私だ。

魂魄百万、那由他の数ほど生まれ変わったとしても、私の花は私のものだ。

勝手に、

入れるな。食らうな。摘み取るな。解釈するな。名付けるな。分割するな。まとめるな。

私の花はお前の花でないことを知れ。

厳然と眼前に咲き誇るこの姿こそが私だ。

この私の姿を眼底の奥底に焼き付けろ。

醜く美しい決然たる魂が、燦然と咲き誇り輝いているこの瞬間がすべてだ。

華々しく咲き誇れ!

いついかなる時も花は己と自覚しろ。

私はここに咲く一輪の花。

この姿こそが私の花である。

誰にも否定させない。これが私だ。

 

そうだろう?










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