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不登校ってなんだろう。親の目線で思う事。~それぞれのゴールがあってもいい~

「ゼロ 百ではなく」
小1から五月雨登校。今は小6男子に。
学校は五月雨登校のままだけど。
学校に遅刻・早退・給食だけ・行事だけ。
そういう参加の仕方ができているのは、おそらく学校の先生のおかげではないかと思います。

息子が低学年の頃、当時の統括の先生が次の週の時間割を見ながら「来れそうなところ」を聞きながら「息子用」の予定を作ることを提案してくれました。

息子にとって、先の事を想像するのは難しく、「予定を決める」ことは難しい作業。
でも、そのことを分かった上で先生は「この日は給食がカレーだよ」「理科は好きだったよね、次はこの単元だね」など声を掛けながら本人の意見を聞きながら決めて、手書きの時間割を渡してくれました。
意見といっても、息子ははっきり答えない。答えられない。
息子が「うーん」とはっきりしない様子だったら、「NO」という返事と受け取るなど、本人の様子を観察し気持ちを汲み取りながら会話してくれました。

そして、必ず「変更可能だからね」と声を掛け続けてくれました。
その内、人が少なくなりそんな時間割を決める時間は取れなくなってしまったのですが…。

「自分の出たいところだけ出ていい」「予定は変更してもいい」
「参加の仕方はその子それぞれ、それぞれのゴールがあっていい」
「運動会も授業も見学だけという参加の仕方があってもいい」

そんな先生の考えを受けて、息子の中で、ゼロ 百だった思考が少しずつ柔軟になっていったのだと思います。

凸凹が大きい息子には、一斉授業はなかなか難しい。
簡単すぎてつまらない所と、どう頑張ってもできない所が混在する。
分かりたい思いも強いから、理解できる説明をしてもらえないストレスがたまる。

ベストではなかったかもしれないけど。
参加できるところだけに参加していく自分のことを許せたから、学校から離れる事なく、同年代の子どもの中に入る経験をし続けることが出来たのだと思います。

「安全な場所」
学校の先生の対応とオンラインの居場所のお陰で息子は。
それなりに、自分の気持ちや意見を言語化できる、
それなりに、自分で決定することができる、状態を保っています。
それは、無理な事を要求されない「安全な場所」にいるから保てていることだろうとは思います。

でも、「安全な場所」で自分を表現できるなら、少しずつ外へ世界を広げていく準備ができたということかなと思っています。
「あー、この子は大丈夫だ。」という謎の安心感を息子に対して感じています。

安心感を感じながらも、少し自分で動けるようになったなと思ったのは、ごく最近のことで…。
習得するには、年単位の時間が必要なのだ!となるべく自分に言い聞かせます。
目指すのは、自律なので。
決めるのは本人、私は情報提供するだけ。私は自分の感想を言うだけ強制しない。
決めるのは本人!!
と思うのに。
「こんなんで大丈夫なのか!?」と焦りが私の頭をよぎった途端、鬼の形相で怒鳴る自分がいます。
最近は「キレた時のあ母さん」と言って口調を真似されます( ;∀;)

ダメな自分も許しつつ、なるべく疲れる前に休む、無理しない、調子が良くても頑張り過ぎないと今日も自分に言い聞かせます。


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