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【小説】『シンクロ✖シティ』第1話⑤

【イントロダクション✖アブダクション】

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 平日にもかかわらず、多くの車が停められているパチンコ店の広い駐車場。東西にある出入口のうち、東口付近に一台のワンボックスカーが停車していた。黒色の車体はワックスで磨き上げられていて、手入れが良く行き届いている様子だった。
 ウィンドウにはスモークが貼られているため、外側から車内を覗こうとしても何も見えない。そのことから、この車両が自家用車ではないことが伺われた。
「主任。草薙さん、馬頭、戸枝、斎藤、以上4名の配置が完了しました。指示あるまでその場で待機でよろしいですね?」
 運転席に座る三十代半ばの男が右耳のイヤホンを指で押さえながら、助手席の上司らしき壮年も終わりに差し掛かった様子の男に判断を仰いだ。
「牧田、お前ぺえぺえじゃねぇんだ。それくらい聞かなくったって分かるだろうが」
 上司の男はそうどやしつけると、自らのイライラの元凶となっている後部座席の二人に顔を向けた。
「えーと、空蝉さんだっけか?こっちの準備は整ったよ。ところであんた、それって本名なの?」
 男から見て向かって右側に座る人物は、空蝉だ。百八十センチを超える長身の彼には、ワンボックスの車内も多少窮屈そうに見える。空蝉は涼しい顔を保ったまま、胡散臭い者でも見る様な視線を向けてくるその男に対して言い放った。
「私の素性に関しては一切話す必要はないと言われていると、先程から何度も申し上げておりますが」
 男はフンっと勢いよく鼻から息を出すと、顔を赤らめて怒鳴るようにして言った。
「鷲巣局長がな!こっちが下手に出てやりゃ良い気になりやがって。大体によって何で門外漢の情報系の局長が刑事部屋に口出してきやがるんだよ!俺はそれがまずもって気に入らねぇ。それにどこの馬の骨ともわからん民間人どもの協力をしろときやがった。しかもお前ら刑事はバックアップに回れだと?ふざけんじゃねぇ!ガキのお遊戯会じゃねえんだぞ。凶悪犯罪だ、これは。バックアップに回ってる場合じゃねぇんだ!頭にきた!服務違反だろうが命令違反だろうが知らねえが、今すぐこいつら叩き出して・・・」
「宇田川しゅに~ん、まずいですよー」と、牧田と呼ばれた運転席の部下が半べそを掻きながら上司の肩を掴む。その時上司は、外に出ようとして滑稽なほど大げさな素振りでドアに手を掛けていた。
 そんな上司と部下の動きをピタリと一瞬にして止めたのは、空蝉の隣で少し前から寝息を立てていた若い女の一言だった。
「ごちゃごちゃうるせーな」
 不機嫌の塊のように眉間に深いしわを寄せて、腕を組みながらメンチを切る。目の下にある漫画みたいなどす黒いクマが、メンチに一層の迫力を与えている。大の大人が一度ゴクリと唾を飲み下す音が車内に響いた。牧田も、宇田川と呼ばれた上司も、同時に生唾を飲み込んだのだった。
「ひとが気持ち良く寝てりゃ、でかい声出しやがって。どうすんだ、ああ?目が覚めちゃったじゃねーかよ」
「ブルームーン、落ち着け」
 空蝉が女の横顔に囁くも、クマ女の怒りは収まらない。眠りを妨げられた時のブルームーンの怒りが尋常でないことをこの場にいる誰よりも良く知っている空蝉は、結果大きくため息を吐くことしかできなかった。
「おい、ちょっと待て!あんた、空蝉さんよ。この女は一体なんなんだよ。車に乗り込んだ途端にグースカ寝出して、起きたと思ったら逆ギレか?俺らはコイツのバックアップを任されたんだぞ、刑事の俺らがだ。このわけわからん女の。おい、牧田。俺には全く理解できんぞ。この女のなにが——」
 空蝉が宇田川の口を押さえようと手を伸ばした瞬間、それよりも先にブルームーンの足が飛んだ。ように見えた。
 ブルームーンのロケットキックは、宇田川の顔面を的確に捉えていた。奇跡的に鼻血が出ることはなかったものの、顔の中心が赤くなっている。宇田川は右手で鼻と口元を覆いながら涙目でブルームーンを睨みつけた。しかしブルームーンは全く意に介さずに叫んだ。
「オンナオンナうるせーんだよ!名前で呼べよ。あたしはブルームーンだ!てかあたしたちには時間がねーんだよ。おやじの文句に付き合ってられる暇なんて一ミリもねーから。うつせみから話聞き終わったんだったら、さっさとキムラのウチに乗り込むんだから、なんにもわからねーただのオッサンはさっさとあたしに付いてこいやッ!」
 なんだとこの野郎!と、宇田川も上半身を後方に乗り出して拳を振り上げた。ブルームーンも今一度ロケットキックを食らわさんと膝を持ち上げる。間に挟まれるかたちになった空蝉が、彼の長い両腕で二人のことを抑え込む。車内は押し合いへし合い、上下左右に揺れていた。外からその様子を見ている者がいたとしたら、正に不審車両であった。
 牧田のイヤホンに、不意に無線連絡が入ってきた。被疑者宅のアパート周辺で待機している刑事たちを取りまとめる、草薙巡査部長からだった。
「こちら牧田。はい、はい、え⁈了解。引き続き指示あるまで待機願います・・・。主任!木村が帰宅しました。動きますか?」
 子供の喧嘩のようにブルームーンともみ合っていた宇田川が真顔に戻る。シートに背をもたせ掛け、まっすぐに前を向き、そのままの体勢でブルームーンに話しかけた。それは脅すような、試すような物言いだった。
「おい、お嬢ちゃん。俺は本当に今回のヤマはよくわからん。よくわからんが、あんたらの話、信じていいんだな?大事な部下の命を提供するんだ。こっちも遊びじゃねぇ。女子中学生が間違いなく誘拐されていて、そんでそのマル害をひっ捕らえに行く。中学生の顔、見たら分かるんだな?」
 現行犯で逮捕できなければ虚偽の通報をしたとしてお前たちを捕らえるぞ、と宇田川は言いたいらしかった。
 しかし空蝉にはその脅しが理解できても、一方のブルームーンには何も響いてはいないようだった。
「何度も言わせんなっての。あたしはブルームーン!」
 スライドドアに手をかけて、そして勢い良く開けた。突然に西日が差して目がくらんだ。車内に向き直ったブルームーンは、誰にともなく告げた。

「目になれるあたしは、最強だから」


   *

 築三十年越えのボロアパートのドアは、閉めるたびに「キイ」と甲高い泣き声を上げる。それが今はなお一層のもの悲しさを含ませて聞こえてきて、木村孝継(きむらたかつぐ)は唇を小さく噛んだ。
(俺、何やってんだろう)
 背中に感じるドアのひんやりとした感触が、孝継の頭を冷静にさせた。靴を無造作に脱ぎ、部屋に上がる。右側にある台所のシンクに皿や茶碗が置きっぱなしになっているのに気付いたが、見て見ぬふりをして閉められている七畳の部屋の引き戸を開けた。
 自分がアパートのこの部屋を出た時と全く同じ姿勢で、少女がちょこんと膝を抱えて座っていた。
 膝におでこを付けて俯いていた少女が、顔を上げて孝継を見た。その少女の口元が微かに笑みをこぼしたように思えて、孝継は驚いた。実際のところ、それは彼の願望が見せた幻だったのかもしれたかったのだが、彼にとっては武者震いのような、後には引けない、引くことなど到底できないのだという覚悟のようなものを再認識させた。
(どこまで行けるんだろう、コイツと二人で)
 不意に去来した一抹の不安を掻き消すように、孝継は右手にぶら提げていたコンビニの袋を低いテーブルの上に置いた。
「腹、減ってるだろ?好きなもん、選べよ」
 孝継が少女を見下ろしながらそう言うと、少女——西野音羽は「ありがとう」と呟いてガサゴソと袋の中身を物色し始めた。
 音羽に目線を合わせるように、孝継も腰を下ろした。汗がポタリと一粒、腿の上に落ちた。それで初めて、クーラーを付けていなかったことに気が付いて、慌ててテーブルの上のリモコンを手に取った。音羽に目を遣ると、顔は全く汗ばんでいなかった。
(ロボットみたいだな)
 孝継は、音羽と過ごしているこの短い時間だけで、少女が抱えている「何か」の深さ、暗さを既に感じ取り始めていた。何より、この少女には表情のバリエーションが極端に少ない。表情筋が硬く張り詰めてしまっていて、決して緩むことがないのだ。そう考えると、先程見た気がした音羽の笑みも、たぶん気のせいだったのだろう。
「これ、いいですか?」
 相変わらずの無表情さで、ボロネーゼのパスタを差し出してくる音羽に健気さを感じて、孝継の声のトーンは自然に和らいでいた。
「温めてやるよ。ちょっと待って」
 音羽は素直にコクンと頷いた。
 パスタを持って台所に立ち、電子レンジに入れた時だった。
 
 ドアのベルが鳴った。思わずビクリと背中が震えた。
 自然と部屋にいる音羽と目が合う。孝継は咄嗟に唇に人差し指を当てて「静かに」と音羽に指示をした。それにもコクリと頷く音羽。
 そうしているうちにもう一度ベルが鳴らされる。孝継は居留守を使うつもりでいた。結局合計で三度ベルは鳴らされたが、諦めたのかしばらくすると静かになった。
 フウと静かに息を吐いた瞬間。
 物凄い勢いでドアが叩かれた。ノックなどという優しいものではない。ドアをぶち破らんばかりの勢いだ。それは手ではなく体当たりでもしているのではないか、というくらい激しい音と振動だった。それは一向に収まる気配がない。時折、「木村さん?いるんでしょ」という声も混ざって聞こえてくる。
(バレたのか?)
 とりあえず孝継は咄嗟に思い立ち、音羽をトイレの中に入らせた。
 深呼吸をすると、ドアは開けずに外に向かって声を掛けた。
「いますよ、いるから!ちょっとドア壊さないで!何なんだよもう」
 孝継の声掛けで、ドアの向こうの何者かの動きが止まった。何かブツブツと言っているようだが、良く聞こえない。ただ文句を言っているのだということだけは分かった。
「ヤマモト運輸でーす。お届け物にあがりやしたー。えっと、なんかアニメのDVDみたいっすねー」
 それは女の声だった。最初その女の言葉に強烈な違和感を感じたが、すぐにそれが何なのか分かった。配達員は、普通荷物の内容まで言うことはない。断じてない。ドアを開けてはいけないという至極真っ当な自分の声がある中で、先程のドアを破壊しかねない勢いといい、言動の異質さも相まって「対応しなければ何が起こるか分からない」という恐怖も多分に芽生えた。
 普段の孝継であれば、適当にあしらっておいて、しつこくされるようなら警察に通報でもできた。だが今はそれがどうしてもできない。波風を立てられないのだ。
 彼は既に捕縛されるのに十分な罪を犯してしまっていたのだから。
 結果、孝継はドアを開けてしまっていた。
 小柄な女が立っていた。一応、ドライバー風の作業着を着てはいるが、どこか違和感がある。着慣れていない、とってつけた感があるのだ。それから、帽子を目深にかぶっていて人相が良く分からない点にも警戒心を抱かせた。
「はいコレ荷物っすねー。どぞ。んで、サインくださいー」
 押し付けるように小さな段ボール箱を渡してくる。間髪入れずに伝票も差し出す。
 女は孝継の背後に視線をやっているように思えた。
(まさか覗こうとしてるのか)
 そう思った時だ。
「いた、いた、いたたたたた」
 目の前の女が蹲った。腹を抱えている。
「ちょっと、なに、どうしたの」
 腹が痛いのだろう、「いたたた」という呻き声を繰り返すだけで一向に立ち上がる気配がない。目の前で巻き起こる展開に付いていくことが出来ず、孝継は音羽の存在を忘れてしまうほど、この配達員の挙動に右往左往させられてしまっていた。
「と、とい、れ」
 女が何かつぶやいたが、良く聞こえず「え?」と聞き返した。
「トイレ、貸して」
孝継は一瞬呆気にとられた。そして我に返って全身で拒絶した。
「ダメだよ、ダメ。そのへんのコンビニに行きなよ。ちょっと、伝票にサインしたいけどボールペンとかないの?」
配達員はそんな孝継の当たり前の質問にも全く答える余裕がないらしく、一層大きな声で、
「死ぬー、殺す気かー!」
 と物騒な言葉を叫んだ。そして、どけやコラ!と怒鳴ると、素早い身のこなしで部屋へと土足で駆け上がった。
 慌てて女の背中を目で追うも、狭い1Kのアパートのことだ。トイレなどすぐに見つけられ、女が勢い良くトイレのドアを開くその挙動の一部始終を、孝継は玄関に棒立ちになったまま見続けることしかできなかった。
「あ」
 トイレのドアを開いた配達員が、一言呟いた。
 孝継の位置からはトイレの中は見えないが、そこには間違いなく目を丸くして女のことを見詰める一人の少女の姿があるはずだ。その時の孝継の頭の中には、これからこの配達員に向けて放つ罵声の案が目まぐるしく浮かんでいた。
(大丈夫だ。妹だって言い張ればいいんだから。ていうか、なんだこの失礼な奴は!)
 孝継が配達員の女に向かって口を開きかけたその時、相手がくるりと振り向いた。思わずぎょっとして孝継が後ずさると、信じられないことを配達員が口にした。
「いたぞー!オトハだー!」
 それは玄関の外に向かって放たれた。
 その声が辺りに響き渡ってから間髪入れずに、どかどかと威圧的な靴音を轟かせて数人の人間が部屋の玄関になだれ込んできた。
 先頭に立ったのは、姿勢の良い女だった。皺ひとつない黒のパンツスタイルのスーツを颯爽と着こなす様は、対峙する者に強力な威圧感を与えた。整然と切りそろえられたボブヘアも黒々と艶やかで、そうなるともう全身が黒ずくめだった。
 彼女は胸ポケットからエンブレムの付いた手帳を取り出すと、
「月読警察署捜査一課の草薙です。あなたを未成年者誘拐の罪で現行犯逮捕致します」
 草薙が背後に控えた男性刑事に目配せする。手錠を持った刑事が孝継に近付いた。
 不意にドタッと物音がして草薙がその方向に目を向けると、作業着姿の女が尻餅をついていた。それはトイレから飛び出してきた少女が女を突き飛ばしたからだ。
 少女は大きな声を出して叫んだ。
「その人、悪いこと何もしていません!わたしを、助けようとしてくれたんです!」
 孝継は音羽のその叫び声を聞いてから、少し安心して思った。

——なんだ、コイツ強い人間じゃないか。僕なんかと全然ちがうじゃん。

(☞ ⑥に続く)


次回、第1話・最終回です!!

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