見出し画像

【小説】『シンクロ✖シティ』第1話④

【イントロダクション✖アブダクション】

前回③はこちら


 穂美月町(ほみづきちょう)から刈稲町(かりいねちょう)へと延びる国道を、一台のスカイブルーのミニクーパーが疾走していた。クラシック車ではなく、現行のBMW社製のクラブマンである。
 運転席に座っているのは空蝉だ。ステアリングをしっかりと十時十分の位置で握っているところに、彼の几帳面さが良く表れていた。
「ねぇ、さっきのウルフアイさ、どうやって三分で発電所の場所を探し出せたんだろ」
 大きなあくびをしたあとで、助手席のブルームーンが疑問を口にした。空蝉は前を見ながら容易くそれに答えながら、流れるような運転で車線変更を繰り返して進行していた。
「彼にとっては容易なことさ。まずは君が覚えていた、車庫に停められていた車のナンバーをデータベースから照合したのだろう。そこからその車の停められている車庫及び住宅の住所が分かる」
 そこで空蝉は言葉を切った。ブルームーンの反応を待っている様子だ。「ふーん」と小さく呟いたブルームーンは、しばらくの間黙って、それから再び疑問を呈した。
「でもさ、その車がその家のものって限らなくない?友達がたまたま来てたのかもしれないし。そしたら全然違う住所が出てきちゃうじゃん。その車の持ち主の」
 予測済みの反応だったのだろう。空蝉は口元に微かに笑みを浮かべて、ブルームーンの意見に一言だけ「そうだな」と応じた。
「あ!だからか。オトハのお父さんの名前だ!」
 空蝉が回答する前にブルームーンが先に気が付いた。そのことにも、彼は満足そうだった。まるで個人授業中の塾の講師とその生徒のようだ。教室は車内という、いささか風変わりな場所ではあったが。
「ご名答。ウルフアイは保険を掛ける上で、今度は西野隆志氏という名前の線を、先の車の所有者宅と結び付けたのさ。車の所有者の自宅住所の近所に、西野隆志氏の住宅があればまず間違いはないだろう。そのあとは簡単だ。割り出した地域の近辺、自動車で行ける距離にあるソーラー発電所を当たればいい。山の中にある、大規模な発電所はおのずと限られてくる」
「ふーん。あいつも無駄に警察官やってるってわけじゃないんだ」
 ミニクーパーが交差点で右折ラインに入った。
「ブルームーン、この先が山道に至る一本道だ。見覚えはあるか?」
 空蝉にそう問いかけられて、ブルームーンが右を向く。空蝉の頭越しに一本道をじっと見つめる。その先は山へと続いていた。
「そう、この道。田んぼがあったし、山も見えてた。ここをキムラも曲がったんだ。このへんで雨が降り始めた」
 道路にはところどころに大きな水溜りができていて、短時間に強烈な降水があったことを物語っていた。ブルームーンの視覚記憶に相違がないと確信した空蝉は、コクリと頷くと、信号が青に変わるとアクセルを踏み込んで一本道へと入っていった。直線を山道に向かって猛スピードで駆け抜けて行く。一刻の猶予もない、という焦りすら感じられる。
 ブルームーンの『能力』には確定的なルールが見出されていなかった。少なくとも今、この時点においてまでは。彼らの活動は始まったばかりなのだ。
 ルールが定まらなければ、一回一回の事案が一度きりの賭けのようなものだった。
 
 真夏の日は長い。すでに時間は夕方の六時を回っていたのだが、未だに太陽が放つ日差しは明るく、そして強い。山道に入ると、木陰が出来る分、その光も遮られて眩しさも和らぐ。
 ミニクーパーはぐんぐんと山道を登っていく。つづら折りのヘアピンカーブが五分も続けば、眠気が差してくる。ブルームーンもご多分に漏れず、コックリと舟をこぎ始めた。その直後のことだ。
 しっかりと閉じた瞼の裏が唐突に明るくなって、心地よい眠りは無残にも終わりを告げた。チッと舌打ちをしてブルームーンが薄目を開ける。また少し、目の下のクマが濃くなったようだ。
 山道を抜けた先は、見通しのいい直線道路が広がっていた。頂上へ行き着いたのだ。
 そして右斜め前方に、無機質なソーラーパネル群が屹立しているのが見えていた。
「あれだ」
 空蝉もそれに気付いて、思わず呟いていた。そうしてまじまじとブルームーンを見つめる。
「なんだよ、ジロジロみるなよ」
 空蝉の視線にくすぐったくなって、居心地悪そうにブルームーンが顔をそむけた。
「いや、すまない。君の能力、やはり本物だな」
「え?なんだよ、まだ疑ってたのかよ」
 慌てて空蝉は否定の意味を込めて首を振る。その様子にブルームーンはクスリと笑った。
「うつせみ!スピードもっと上げて!早くキムラを捕まえよう!」
 前を向き直ってブルームーンが叫んだ。空蝉は「ああ」とだけ返答すると、言われたとおりにアクセルを踏む。エンジンがブオーンと音を立てて吠える。発電所の入り口まで一気に加速した。
 発電所の門がある小道の手前で、空蝉は車を停車させた。
「なんでここ?門までいかないの?」
 ブルームーンが理解できない、というように眉根を寄せる。
「ばかな。私達は警察官ではないし、犯罪者を拘束する権限だって持ち合わせていない。ただの一般市民さ。危険なことだってもちろん出来ない。キムラのものと思われる車両を確認したら、すみやかに通報、正確にはウルフアイ経由で警察組織に報告する。この流れは絶対だ。さあ、車両を確認するぞ。くれぐれも悟られないように」
 そう早口で捲し立てると、車から出た空蝉が中腰で小道の入り口に近付いていく。入り口の両側には、奥に向かって土塀が続いていて、隠れて覗き見るには最適な環境だった。慌ててブルームーンも助手席から飛び降りて、空蝉の背中を追う。
 すでに入り口の土塀の端に身を隠した空蝉は、ゆっくりと頭を小道に出していた。その様子を見てから、中腰になったブルームーンも空蝉の腰あたりから頭を出して恐る恐る覗く。
「——え?」
 ブルームーンは叫ぶように声を出すと、空蝉の静止の声も聞かずに小道の中へと駆け出していた。
 発電所の門前には一台の車も停まっていなかった。門も隙間なく固く閉ざされている。
「えぇ——⁉いないじゃん!だれもいないじゃん!ウソだ!」
「ウソだ——」というブルームーンの悲痛な叫び声が辺りにこだました。

   *

 執務室のデスクの卓上に置かれた電話機が、不意にけたたましく鳴った。
『警察庁情報通信局・局長』、鷲巣清史朗(わしずきよしろう)は落ち着き払った声で「鷲巣だ」と受話器の向こうの相手に名乗った。眼鏡をクイッと持ち上げて背筋を伸ばして真っすぐ前を見据える様は、一見すると神経質そうな印象を見る者に抱かせるが、彼の目はどちらかと言うと垂れ目で目じりの皺が深いので人相見に長けた人間が見れば容易に彼の本質を見抜くことができるだろう。
「お世話になっております。鶴丸です」
受話器から聴こえてくる声は、鷲巣の良く知っている男のものだった。
「亮介君か。君から短期間にこんなに何度も連絡があるなんてな。初めてのことじゃないか?相変わらず忙しく立ち回っているとみえる」
 警察組織にあって、内部のIT関連整備から世の情報系犯罪の取り締まりまでを一手に取り仕切る部局が情報通信局であり、そのトップの座にいる男が鷲巣である。その鷲巣とこうも気安く会話のできる人間はとても限られていた。それに直通の番号を知り得る人間となると、もう五本の指で足りるほどだ。
 鶴丸亮介——空蝉という男を心底面白がっている者の内の一人。鷲巣清史朗という男を語る上で外してはいけない項目の一つである。
「そういう星の元に生まれたのか、自分から進んで妙な道に向かっていってしまう習性なのか判断に困りますが。それはそうと、少々厄介な状況に陥っておりましてね。局長の御助力を乞い願いたく」
 鷲巣の目じりが更に下がった。少年の目そのものだ。『面白い何か』の匂いを敏感に感じ取っていた。
「ほう、それはそれは。また『バラの少女』が悪夢にうなされたのかね?」
 鷲巣が謎かけのような質問を投げると、相手は微かに笑ったようだった。
「また随分と詩的な表現をなさるのですね。そうです。悪い夢が現実世界に抜け出してきましてね、それをまた私達は追いかけているのですが。夢魔にまんまと逃げられまして」
「君こそ、文学で応戦か。乱歩みたいな表現で、僕は嫌いじゃないがね。それで、本題は?」
 亮介は声のトーンを少し落として言った。
「ウルフアイに一つ大役を任せたいのですが、少々荒っぽい手段を使用しなければならないもので。これはもう彼の独断では決裁できないレベルの事案です。それで局長にお許しを」
 対する鷲巣は困った声を出した。しかしその表情は笑顔のままだ。受話器越しで分からないのを良いことに、やはりこの男は亮介とのやりとりを心底楽しんでいるのだった。
「もう少し詳しく、その荒っぽい手段とやらの内容を聞かんと、僕も決裁はできんよ」
 分かりました、とすぐに返事が返ってきた。
「大平洋建設(だいへいようけんせつ)の社内サーバーへのハッキング行為を許可していただけますか」
 ——ハッキング。鷲巣の背中がゾクリと粟立った。
「君たちの追う夢魔には、犯罪を犯しているという確たる証拠はあるのかね?」
 すでに鷲巣の表情からは笑顔が消えていた。眼鏡の位置を再び直す。
 亮介は即答した。
「はい。最悪の結果を迎えることだけは何があっても回避しなければなりません。逃した夢魔の住処を一刻も早く突き止めたいのです。その手掛かりが、というより住処の情報そのものがサーバーにあります。正規の手順を踏まえての警察組織による捜査を待つ時間がない、そのような事案を扱うのが私達チームです。そしてどこまでいっても私達は『民間』です」
 鷲巣も亮介の焦りをここでようやく理解した。
『バラの少女』の能力は本物だ。今でもその事実に躊躇っている自分もいるが、間違いなくあの能力には『誰にも気付かれていない犯罪行為を誰よりも早く感知する』という側面もある。それを目の当たりにし、自分は驚き、疑い、そして信じたのだ。
「今回も頼んだぞ、亮介君。いや、空蝉君」
 鷲巣から投げ掛けられた言葉に、亮介は全てを許可され、一任されたと判断したのだろう。力強く「了解」と返すと、最後に謝意を述べて通話を終えた。
 椅子の背もたれに深々と身を預けて、鷲巣は深く息を吐いた。腹の上で手を組み、眼をつむる。
 それからまた、フッと笑った。

(☞ ⑤に続く)

この記事が参加している募集

サポートの程、宜しくお願い致します。これからも、少しでも良い作品を創作して参ります。サポートはその糧となります。心に響くような作品になれば幸いです。頑張ります!