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父の言葉の記憶

義母の信頼する先生の娘さんがオーラソーマの先生でした。義母を通して繋がったオーラソーマの小林先生は私が大好きな方の一人です。私はオーラソーマに関して無知でそれまで体験した事はありませんでした。

5年前、初めてオーラソーマのセッションを小林先生にして頂きました。
選んだボトルを見て先生が色んな話をしてくれ、質問を頂き、自分を知っていく流れでした。その話の1つに父親との関係を問われました。
幼少期に父親との関係で何か悲しい出来事はなかったか?という事。

父と私

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[ 弟が生まれる前の家族写真 豪雨により泥で汚れています☺︎ ]

実は私は父親の事をとても尊敬して成長しました。仲もずっと良好。
父は私たちを育てるにあたり、大好きな蜜柑農業では家族を養えないと、農業を辞め、違う職種に就きました。40歳だったと思います。とても経済的に大変な時代を身体を削って働いてくれました。
そして私たちが自立してみんな家庭を持った頃、再び大好きな農業を始めたのです。デコポン農家をやっています。

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[ 父のデコポン ]丸々して絶品です☺︎

私たちの為に懸命に働く働き者。
厳しかったけどとても子煩悩。
怪我をしても父がこのぐらい大丈夫、大丈夫!そう言うとそれは医師から言われるのと同じ事。そのぐらい信頼していました。
不安や悩みも何でも父に話していたし、仲が悪いと言う事はなく、むしろ三人兄弟の真ん中女の子で、私は父親にとても可愛がられました☺︎

だから、選んだボトルからくる先生の質問に心当たりがまるで無く、セッションが終わってからもなんだろう?何か昔あったかな?ってずっと子供の時のことを考えて帰宅しました。そしてそのまま、時の流れと共に自然とその事は忘れていきました。

メルカリでやった占い

とある去年のある日(日本語あってるのか?)メルカリに残金があったので、遊び感覚で、出品されてた西洋占星術をお願いすることにしました。必要事項をお伝えすると鑑定結果が匿名配送で送られてくる形です。(そんな出品もあるんだ〜!とびっくりしました)

数日後、ポストに送られてきた封書の鑑定結果を楽しみに見ました。たくさん言葉が書いてあって、ふむふむと読んでいましたが、一つ気になる事が。

小さい時にお父様との関係で何かなかったですか?・・・と。
あれ!?えっ!?また!?確かオーラソーマの先生からも聞かれたぞ!

あれから何年も過ぎた頃、また問われたのです。
父と小さい頃に何かショックな事がなかったかと。
まじか!!!って思いながらずっと考えました。でもやっぱり全然わからない。

そうして何ヶ月も過ぎたある日


(お待たせしました!いよいよです。)
そして今年の4月だったと思います。ずっとずっと考えてたその答えがやーーーーっと見つけ出せました!
主人と実家の両親の話をしていた時に、主人が話す、跡取りとなった父の心情の話から導かれるようにある記憶にたどり着いたのです。

もう本当にこれは忘れていた記憶。オーラソーマの小林先生に問われた日から、無意識の中の潜在意識は、懸命にこの答えを探していたと思います。

そしてやっと辿り着いた。この記憶を思い出すのに5年かけるほど、心の深い場所に置いて忘れていたのです。

それは、父の言った、たった一言の言葉

“お前は期待外れだった”

確か中学3年の時、高校受験の話だったと思います。自分が目指す(行ける)高校を伝えたらそう言われました。とてもショックでした。
小学校の頃の夢は国語の先生と言っていました。字を書くのが大好きで、本を読むのも好きでした。作文も好きだったな。
お前は頭がよかったのに。中学でダメになった。お前は期待外れだった。と父に言われてしまったのです。
中学は本当にキツかったな。ただでさえ、中2から始まったいじめの最中で精神は卑屈になっていたのに。

父親が大好きだったばかりにとてもショックで、それから心の状態を言葉にすると何かを諦めて荒れ狂うヤンキーみたいになりました。(心だけですよ、心だけ。外見は普通を装う)

自分の絶対的に尊敬する人に言われてしまった。
なんてこったい
なんてこったい。
私はダメな娘だ。

期待外れでごめんなさい。
私は父に自慢される娘でいたかったのに、
期待を裏切ってしまってごめんなさい。

高校から進学することを悩んでた時も似た様なことを言われました。

兄弟でお前だけだ、自分からアレがしたいからココに行きたい、と自分の意思を言ってこなかったのは。(ショックハーツ)
益々、自分はダメな娘だ。と罪悪感を抱えてしましました。

そして自分に幻滅する出来事がある度に、父に対しても
こんな娘でごめんなさい。と思うようになりました。
何歳になっても
父に褒められる自分でいたい。
そう執着していました。

父の生きた環境を考える

今、自分が大人になって思うのは、小さな田舎町というのは肩書きに弱い。近所の話題もあそこの子はどこ高校に行っただの、あそこの子はどこに就職しただの。
ましてや父は本家の跡取りだったので身内との関係の中でも、本家の私たち子供にはすごいって思うような人になって欲しかったのかもしれません。

そしてそれは、農家の跡取りとなった父のコンプレックスでもあったのかも知れません。

父は運動神経が抜群に良く、学生の頃は体操選手になりたかったそうです。しかし家庭の事情で、7人兄弟で6番目の父が実家の跡を継ぐ事になったのです。この町からも出る事はできませんでした。

昔の農家のイメージは “苦労” 苦労させにわざわざ嫁にやれない。と結婚する事もとても難しかったそうです。父の結婚が30歳と昔の人にしては遅かったのはふに落ちます。だから母にはとっても感謝しています。今でも母と父は仲がとっても良いです😊

だから余計に私たちには長所を伸ばして、勉学をしっかりやって、立派になってもらいたかったのだと思います。
世間一般の社会的立場で。

現に私が東京へ上京した時には、東京の方々から良く言われました。
「一人娘なのに良くお父様は外に出してくれたね」と
父に聞くと、自分が外に出たくても出れなかったから、子供には自由に外へ出て社会を見て欲しいと言ってくれていました。

そういえば、東京でスタートした社会人生活1年目、慣れない東京の暮らしと慣れない仕事。とっても悩んで、辛かったけど、父親の
がんばれ!に応えたくて頑張っていました。
このことについてもいつか書きたいな。

このことを直接、父に問うた日

そして、その悲しみを思い出した私は、
20年以上経った今年の8月のお盆に
きっかけがあって、父にこの事がとても悲しかったんだと、
真相を聞きました。

すると父は、それを言ったことも忘れていました。
そして、悪かったな〜。
お前はそう言うと
何クソ!!!って努力するタイプだから言ったんだ。
本気でそう言ったんじゃないんだ。
と話をしてくれました。

とてもスッキリしました。
そして、お前は期待外れでもなんでもない、その結果に
こんなに良い旦那を見つけたじゃないか!

と言ってくれたんですが、少し
???ハテナでした(笑)
そそそそそこ!?
他にはないと!?って。
(まあいいや)😂

父が私に言った言葉は、そんな父の願いもあったし、父からの愛のムチだったとわかりました。私は父に褒めてもらう事が原動力になっていた子供の頃なのでショックだった。自己肯定できない状況だったから余計にショック過ぎて記憶のどこかに消したんだと思います。


きちんと父と話せてよかったです。

そして子育てをする立場の今、こどもを導く上で
発することばを気を付けようと思うのでした。

読んで頂きありがとうございました😊

また書きますね☺︎

そして続き↓




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