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世界線とパラレルワールド

誰もいない喫茶店やレストランに入ってしばらくすると、いつのまにか満員御礼になる。「あなたは場の空気を変える周波数がありますね」といわれたことがあって、へっ?と思ったけど…その日、オープンから間もない時間帯に超有名なカフェで店内を見渡せる席に座った。試しにこの写メを撮った途端からどんどん来店して、あの瞬間に映さなかったら紫陽花の向こうはおばさんだらけになった。
いついつから世界線が変わりました、とかいうけど、それって今まで固定されていた世界がちがうものに変わったようなニュアンスがない? パラレルワールドっていうのも同じような感覚で。シンクロもどき①②③でも書いたけど、宇宙の目に見えるものも見えないものもすべては量子のゆらぎで、見るひとによってはじめて瞬間的に固定され(たように感じるだけ)て、次の瞬間にも満たない刹那にはもう遷移している。ほんとうは時間なんてないのに、デジタルな瞬間をつなげてアナログ的に感じているのはわたしたちの意識。見る目、感じ方が変わればそのひとにとっての世界は変わる。言葉としてはわかるけど、ほんとにそう?と思うかもしれないけど、そう。
願いが叶わないひとは、途中で放棄したか、最適刻限まで待てなかったから。わたしたちはすぐに叶うことがいいと思い込んでいるけど、宇宙的な全方位外交的な視点ではそうじゃない。だから、過去完了形で願ったら、すっかり忘れて目の前の(デジタルな)ことに集中して過ごす。叶うべき時は連続していないある瞬間にやってきて、あ、忘れてたけどブーメランが戻ってきた(^o^)とわかる。

こういう話、スピなひともしてるけど一緒にされたくないな。偏見かもしれないけど、あのひとらには芯がないと思う。芯って?この世(現象世界、3次元)で生きてゆくスキルや自ら責任をとってきた実績、我慢して凌駕してきた経験…スピが必要ないというもの(一見すると苦労に見える)の積み上げ=実感を経てきたからこそ、それを昇華できた時、他人の痛みがわかり、負を転換する術をひととも共有できるわけで、ヘナヘナな精神力で、ワクワクを選ぶなんていったって逃げてるだけ、ハリボテでしかないんだよ。そんなことは死んで身体がなくなってからいいなさいよと思うけど、そういうやつは、けっきょく他人に与えた影響の責任もとらずにそのうち言説をひるがえして、また、ちがうことをいいはじめるんじゃないかな? 次元っていうのも、A→Bに物質的に変わってしまうものじゃないし、今でもいつでもその刹那にいくらでも巡りめぐってしまう。周波数の同じ次元にしかいられないのだから。だから、その理をわかって、エネルギーを変幻自在に扱えるのが魔法使い。その魔法だって、見習い3級からはじまって、1級、初段、十段、師範、マスター? すべてを凌駕すればオールマイティで神様と一体全体。それもあくまで刹那にってことだから、ずーっとそうであるのは至難の業。だから人生、生活即修行場といったりする。念じるだけで簡単にそうできるなら誰も何度も生まれ変わってこなくていい…その究極の理は自ら求めない限り、与えられない。

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