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無知という自覚

今年は梅雨が遅かったから、うだるようなの形容はここではまだだけど、すぐ、追っかけで猛暑がくるんだろう。実は、その夏にいい〝飲む点滴”甘酒が苦手で、子どもの頃からノーマークだったのに、この春先にある方から自家製の甘酒と麹をいただいて、再現してみたらうまいっ(^O^)と驚いて即採用した。炭酸でジェイクしてレモンを搾ると、あら、懐かしいヨーグルト味。20年ほど前に同じようにマヌカハニーの出現で、はちみつ嫌いを克服した経験があって、その20年くらい前には赤ワインを…つまり、おいしいものを味わったことがなかっただけ、という何とも情けない事実を知る。人生後半に間に合ったから良かった。
まぁ、そういう知らない、のはひとさまに迷惑をかけるわけじゃないし、ひとりで台所に佇んで苦笑する程度で済むが、いわゆる世間の常識非常識みたいなのは周りが困るよねってことにもなる。

ものを書いたりしゃべったりしていても、漢字の読みをまちがえて覚えていたり、読めるけど書けなかったり、わー、と声を出して目が点になることがしばしばある。目に焼きつけて、こっそり知っていたことにするが、すぐ、忘れてもとの木阿弥になったりで、一朝一夕じゃダメよね、と反省する。原稿はiPadで書くし、ペンを持って手で書く機会がほとんどないから頭に記憶されないのだろう。昔は、読み書きそろばんといわれたのだろうが、書かないし、そろばんは押入れの奥にしまわれたまま数十年も触ったことがない。わたしは、もともと算数の時代から挫折しているから、そろばんは3級でおしまいだったが、日本には江戸時代に独自の発展を遂げ、実は、明治以降、お手本にした英欧米よりむしろ進んだ「和算」が存在したのをご存じだろうか? 円周率も16ケタの正確さ、これは年にして15-20年進んでいたそう。その頃の識字率は70%、もちろん世界一だっただろう。今の完成されたわたしたちの自虐史観が、いかに意図的に創り出されたものか(T . T)…まさにを絵に描いたような、自身の浅学非才を思い知らされる。

さて、お盆が近づくと(関東では7月?)、思い出すのが親鸞聖人。ウチの葬式宗派が浄土真宗なので、法事なんかの後「歎異抄」をチラッと読むこともあるのだけど、あの、昭和世代くらいなら誰でも知っている、善人なをもて往生す、いわんや悪人をや…これは、まさしく、無知の自覚があるかないかのエピソードだと思う。罪を想像すると、モーセの十戒にはじまって、お釈迦さまもイエス様も孔子も、これだけはしちゃぁいけないよ!といっていて、時代や地域によっていくらか表現はちがっても、基本的に絶対ダメっていうのは変わらないとして、じゃ、何故、してはいけないことをした人間が救われるのか。決定的にNGを出しておいて敗者復活はかはり厳しいとは思うが、できなくはないってこと。知らなくて犯した罪でも罪は罪、という言葉があるが、そもそも知らないなら改めようがないという…その原因は、知ろうとしないことに端を発するのだから、恐ろしいことにつながるのだナ、やはり、小さなことからまちがいは改めるのが身のため、勉強も必要、反省!

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