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高原のホテルで③

夕焼けだが朝焼けにも見える。ものごとは、受け止め方次第でどうにでもなる。その、どうにでもなる、にしたって気分を切り替えようと水を向けるどうにでもなるもあれは、無防備な相手を意図的に扇動するのもある。わたしたちは、日々、意識を都合の良い方向に持っていこうとする、広告に代表される情報に曝され左右されていることに気づかないままに、あーしたいこうしたいアレが欲しい、刹那的な意識が成就されるこそが喜びと思わされているので、自分の思う様になるのが第一、それが達成されないのは不幸と勘違いしている。だから、誰かがまことしやかに語る願望を叶えるにはこうすればいい話をまんまと間に受けて、また失敗する。
きのうは、ブランチの惣菜と🍺🍷を部屋のリネンの籠に入れて勝手に避難路から誰にも遭わずに芝生の庭に出ておひとりピクニックをした。ちょうど通り過ぎた隣のゴルフコースのカートに乗ったおじさんにチラッと目撃されたりしつつ、小一時間のんきに過ごして、露天風呂に何度も浸かりながら、なんだかあんたはいつも自由よね、としみじみした。
そうして、夜、早めに寝床でくつろいでいると、懐かしい映画が公開されているではないか。すると、まさに今書いているテーマにちょうどいいセリフが出てきた。これはヒントになる(^O^)…数十年ぶりに、たまたま、高原のホテルでフェリーニ監督の「道」を観たが、しかし、ものごとに偶然はないとされていて、それならこれもすでに生まれる前から決まっていたわけだ(高原のホテルで①参照)が、ここからが大事なのですゾ、皆の衆。
映画の中盤で、大道芸人のイルマーレ(イタリア語で愚者)がジェルソミーナにこうつぶやく「すべてのものは、その辺に転がっている小石でさえ、何かの役に立っている。自分にはその意味がわからないが、神様だけが知っている」と。ここ、大切。②でも、宇宙のすべては物理的にも同じ元素できていて、同じ法則性に支配されているのだから、起きることは偶然でなく、すべては連動していると説明したが、量子的な解釈をすれば、どんなに遠く離れても、また、時間の制約もうけることなく分つことは不可能な関係性でつながっているから、自分の願望が叶うのがいちばん!という視点は、この理屈を考えていないあさはかさゆえだ。だって、すべての存在にとって、それこそがいちばんだといえるのか?そもそも、目の前以外の世の中で、たった今、何が起こっているのかあなたは知らない。すべてを知っているからこそ全知全能=All mightyなのであって、自分はそんな存在でないことは小学生でもわかる。自分だけよかったらいい、が神様の視点なハズがないのだから。
何もしない、あーしたいなんて考えずに、目の前に起きてくる現象に抗わずに、素直に、すべての存在に向けて最善を尽くせば、まちがいは解消され、えぇ、こんな三方善しを超える全体善みたいな方法があったのか!が、自動的に起きてくる。アレが欲しいなんて念じなくても、もっと最適なものが自然にもたらされる。だから、如実に見ることからはじめようではないか、と思う高原のホテル滞在もあと数時間…このシリーズ、Fin

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