見出し画像

我輩は×××である。

お久しぶりです。初めまして。

始めて描いた前回の記事がなんと3年前ということで驚いております。
もはや「自分noteなんて書いてたんだ」レベルです。
そんな当時の記憶を引っ張り出して書く今回のテーマは「学生団体とインターンを経験して感じた◯◯◯」です。
このままつらつらと書いていると前置きで終わりそうなので、そろそろ本題に向かいましょう。

純度100%のノリと勢いで書いていきますが、最終的にこのnoteを読んで自分がどんなことをしてきた人かざっくり知ってもらえればと思います。

1.   そう云う君は一体誰だい?(自己紹介)

まずは初めましての人もいるかと思うのでまずは自己紹介をば。
坂本浩亜樹と申します。
株式会社iCAREでカスタマーサクセス部に所属しております。
カレーは辛口派ですが、辛いものと言ったら!な食材の一角を占めるキムチは残念ながら人間の食べ物じゃないと思っています。
ちなみに2000年生まれです。

社内で唯一の2000年代に生まれということはある一種の特徴なのかな〜なんて思っておる次第です。
若さに甘えず、しかし最大限活かしてやろうという意識は心に留めながら働いていきたいものです。

ここで坂本個人の経歴に少し触れていきましょう。

大学1年~4年の間でやってきたこと
・塾講師(4年2ヶ月) ・某回転寿司チェーンのキッチン(1年8ヶ月)
・AIESECという学生団体(3年)
・都内の地方就活生支援をしているベンチャー企業でYouTubeディレクターのインターン(5ヶ月)

割と長続きしているものが多い印象ですね。
某回転寿司チェーンでのバイト経験は意外と学びのあるもので、機会があればまた単独で記事にします。(たぶん。おそらく。)
Youtubeディレクターのインターンは挫折の連続でほとんど成果が残せず約半年間実質無給状態だったという苦い思い出。。。

思い出に浸るのもこの辺で切り上げて、ここからは今回の本題である「AIESEC」時代の経験にフォーカスを当てていきます。

2. AIESECという経験

まずAIESECについて簡単に。
めちゃくちゃざっくり言うと、平和でみんなが活躍できる社会を目指すために何かしよう!という学生の集団です。
なんと世界120以上の国と地域に存在している団体で、日本国内だけでも25の支部があると言うのですから今振り返っても驚きです。

やっていたことは何?と聞かれると少し難しいのですが、海外インターンシップという形で国内外の研修生が国を行き来ており、参加する個々人の挑戦をサポートしていた、と言うとイメージしやすいでしょうか?

ちなみに坂本がAIESECで経験したことがあるのはこんな感じ。

・海外の学生とインターン受け入れ先の企業を繋ぐ事業の営業とマッチング
・↑のマッチング部門のマネージャー
・所属支部のTwitter運用   ・財務担当
・実績値を可視化したり、業務フローを効率化するためのツール作成

文学部の人間が1支部の財務統括に任命されたのは今でも謎です。
全部かじった程度の知識で終わってしまったのが無念ではありつつ、逆にさまざまな事に触れることができたのは自分にとってプラスだったのかなと思います。経験した役割ベースだとこんな3年間を過ごしておりました。

3. 学生団体での3年間を振り返って思うこと

3年間もいればさまざまなことを学べるわけで。
でもiCAREでのインターンをしてみれば思うことは全然違うわけで。

この節で書きたいことを結論を始めにまとめると
この先何があるかわからないが、やれそうなことはとりあえずやっておけ
です。
ここでの「やれそうなこと」は能力的なものではなく、機会的なものです。

こう思った理由はいくつかあるのですが、大きく2つ挙げてみます。

① 機会は突然想像もしない方向からやってきていた
前提として粒度はさておきキャリアを考えることは大事だと思っています。
ただ、考えたからといってその通りになるとは限らないと痛感したのがAISECでの3年間でした。
何せ文学を学びたくて大学生になったはずなのに、3年後には財務統括としてfreeeをぽちぽちしたり、決算資料の作成にひいこら言っていた訳ですし。
2年の新歓期にはどんなコンテンツが新歓のターゲット層に刺さるのかみたいなことを考えて毎日Twitterをぽちぽちしていた訳ですし。

でも「BSとPLってなんだよテレビかよ」とか「デザインは何をすればいいのか全くわからん」を拒絶することなく乗り越えてきたからこそ今の自分がある訳で。
これらを素通りして1本道しか歩いてこなかったifの自分を想像すれば、今の自分に辿り着くことは当然あり得なかったと思います。

そういう意味でもとりあえずわからんけど手札増えるならやってみるかの感覚って大事だったんだなと改めて感じる次第です。

② スピードという価値
iCAREで働くようになって一番最初に感じたのはスピード感でした。

AIESECはNPO法人なので無給ということもあり、ほとんどのメンバーはアルバイトをしながら、普通に授業も受け、その上でAIESECの活動をしていました。つまり可処分時間に特殊な制限がかけられている状態でした。
なのでmtgを1つ設置するにもかなりのコストがかかり、「チームの全体mtgはMAX週に1回30分ね」ということも普通にありました。
でもそれは社会の当たり前ではなくむしろAIESECがイレギュラーのようなものであるのも事実です。その状態に慣れてしまったのでiCAREのスピード感に慣れるまで少し苦労したのを覚えています。

しかしながら冷静にならずともわかることですが、そのスピード感がなければ成長も望めなければ、できることの幅は狭まっていきます。
iCAREのインターン生として働いていたときに思ったのは「とにかく時間が足りない」でした。
週3日の出勤でやりたいことととやらなければならないことを両立するには、1つ1つのアクションを最速で達成する。
実現できていたかと問われれば、自己評価では60点くらいです。
AIESEC時代はこれがもっとできていなかったと考えるとどれだけの機会喪失をしていたのだろうと遠い目に成らざるを得ません。

そういう意味でiCAREにある「スピードは上がらないか?」というValueは経験値からも共感できることの多いのだなとこの記事を書いていて思う今日この頃です。

そんな2つの観点から、
「いつどこからやってくる何かに対応できるように追われるのではなく、追える状態で備えておく」
それは、飛び込んできたソレが将来の自分にどのような影響をもたらすのかわからないから。

AIESECでの3年間を振り返って感じたことを、iCAREでのインターンに結びつけたらこんな考えに至りました。

最後にタイトル回収ですが、
「自分は何者である!」と定義するのも悪くはないのですが、
「自分は何者にもなれる!」の方がいいですよね、というお話でした。

というわけで長々と自分語りをしてきましたが、こんな坂本浩亜樹をどうぞよろしくお願いします。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?