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20220206 独学のすすめ

2月の読書課題は、加藤秀俊著『独学のすすめ』だった。

この本が書かれたのは、1970年代。
そして、この本は1974年婦人向け雑誌『ミセス』の連載をまとめたもの。
ほぼ50年ほど前の本が、今も出版社を変えながらもずっと売られている。

ということは、どういうことか?

つまりは、書かれている内容が古くならないから。
いや、書かれ方としては当時の女性像という社会的背景が色濃く出ているところもある。
また、連載されていた雑誌が『ミセス』と言うこともあって、読者層を主婦や母親を対象にした書かれ方をしている所は、古くさく感じたり、今の人権感覚ではずれている様に感じるところもないわけではない。
しかしながら、そうした社会的背景をしっかりとわかって読めば、この本に書かれている本質的なところは、ものすごく価値があるし、金言でもある。

最初の章、『独学のすすめ』の終わりの方に、学校について書かれているところがある。
ちょっと引用してみる。

 じっさい、かんがえようによっては、学校というものは、「独学」では勉強することのできない人たちを収容する場所なのだ、といえないこともあるまい。一般的には、学校に行けないから、やむをえず独学で勉強するのだ、というふうにかんがえられているが、わたしのみるところでは、話はしばしば逆なのである。すなわち、独学できっちりと学問のできない人間が、やむをえず、学校に行って教育を受けているのだ。がっこうは、いわば脱落者救済施設のようなもので、独学で立ってゆけるだけのつよい精神をもっている人間は、ほんとうは学校に行かなくたって、ちゃんとやってゆけるものなのである。
 このことは、現代日本の母親たちに、いちどかんがえていただきたい問題でもある。日本の多くの母親たちにとって、「教育」とは、しょせん子どもたちの問題である。どうやったら、いい学校に子どもをいれることができるかー母親にとっての「教育問題」はそれにつきている。わたしは、それを批判しようとは思わない。
 しかし、教育とは子どもの問題にかぎられるわけではなく、また学校問題につきるものでもない。それは、母親たちじしんのもんだいでもあり、また独学の問題でもあるのだ。母親たちが、ごじぶんの「教育」はもう終わったのだ、とかんがえているとしたら、それは大きなあやまりである。「教育」とは、一生つづくものであり、その大部分は「独学」によるものだ、ということを、このさい、かんがえなおしておきたい。

1974年といえば、終戦からもうすぐ30年。
高度経済成長があって、経済は右肩上がりだったのがオイルショックで水を差された時代。
この頃は、男が働きに出て女は家を守るという考えが結構濃い時代。
この時代のサザエさんなどをアマゾンプライムなどで見ると、結構「女らしい」なんていう言葉もたくさん出てきて、今の時代では絶対に放送できない様なものが普通だった時代。
女性が30才で結婚していなかったりすると、かなり馬鹿にされる様な時代。
子育ては女がするものという価値観が結構濃かった時代。
だから、この文章では子育ての主体として母親の役割が大きいと考えられていても当たり前、かつこの頃に受験戦争といった言葉もたくさん生まれてきていた時代でもある。

さて、この文章の「母親」という言葉をそのまま「大人」とか「親」と言う言葉に言い換えて見ると、そのまま今でも通用するものでもある。
そして、この「大人」という言葉の中に教員というものを含めても良いのではないかと思う。
こういう価値観で子どもに接している大人が運営している学校という所では、どんな教育が為されていくのか。

いや、学校が果たしている機能はとてつもなく大きいし、全く効果がないわけではない。
しかしながら、自ら学ぶ、一人で学ぶことのできるだけの力を持って卒業させられているかはわからない。

50年近く前の本が提起している問題は、今もまだ存在していると思う。
まず、大人自身が学び続ける事をしているか。
そうでなければ、子どもたちが学ぶことをネガティブな経験として引きずり、大人になって学ばない人になってしまうことにつながりかねないのではないか。
そこが、これからの世の中で大切なところなんだろう。

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