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意識は、変化し続けるもの。

今日はちょっとだけ…
出雲・ヒーリングテラス蒼穹の想いという場所ついて書いてみようと思う。

ちなみに私は、東京・南青山、兵庫・芦屋そして出雲にスペースがあり
そこを中心に、北海道から沖縄まで自ら動き
本質的な人生の後押しを12年続けている。

私について
https://note.com/sora_ni/n/n773d4f893f4d


もちろん私は、出雲という場所を特別な場所だとは思っていない。

出雲大社が特別な場所だとも思っていない。

そんな場所に、環境にやさしい村でも創ろうとしているわけでもないし
何らかのグループにも全く興味はない。

出雲・蒼穹の想いという場所に来た人ならわかるが
出雲市駅徒歩10分なので、田舎でも山里でもない。

ごく普通の場所(住宅地)だ。

私の子供の頃・デザイナーの頃・その後
学びをしていた頃の私を知っている人は
どのような繋がりにも
全く興味はないことを知っているだろう。

なのに、出雲・蒼穹の想いという場ができ
出雲に移住する人までいる。

その移住している人たちも

蒼穹の想いに住んでいるわけではない。

何度も言うが、その蒼穹の想いは
駅近の一軒家ではあるが
賃貸だし特別な場所でも何でもない。

蒼穹の想いにも多くの人が関わってくれているが
毎日のように来てくれて管理してくれている人は一人くらいで
他の人たちは、時折、顔を見せる程度だ。

蒼穹の想いに私が二週間程度滞在しても
その方々は、私に逢いにくることは滅多にない。
もちろん、県外(全国)から本質的に深める人が来たら
わちゃわちゃと、どこからともなく(笑)集まってくる。

そんな感じで、特別な場所でもないし
私が居る場所だからでもない。

なのに…移住する人たちまでいる。


普通に考えてみて、全く理解できないだろう。


簡単に言えば、
《自分というものを日常の中で感じやすい》ということなのだが
それさえ、
特別何もない場所で、特別な関わり合いも頻繁にない中で・・・

何のメリットがあって、移住までしたり
全国から本質的に深めにきたりするのか・・・

この後のGWもすでに
全国からたくさんの方が訪れることが決まっている。

TVで、全国で島根県とお隣の鳥取県は感染者が出ていないので
癒しとして訪れる…という人を映していたそうだが
そんな理由で、もちろん集まってくるわけではない。

全国から訪れる人も、年に一回か二回。
高速バスで簡単に来られる人ですら、そんなペースなのだ。

けれど、なぜか来てしまうし
そんな場所なのに、次に行けることを
たくさんの人が愉しみに日々を過ごしているようだ。


きっと、常識とか今まで知っている知識に当てはめれば
何も見えてこない。

過去に、こんな意識の話を書いたことがあるが
そんな場所なのだ。

『 赤い服もいいな♪ 』と、簡単に意識が変わる場所。
シンプルな自分に戻れる場所。


詳細は、下記リンクで。(最後にも載せておきます)
https://ameblo.jp/sora-ni/entry-12524857992.html


そんな場所なのだ。


そんな場所に東京から、そして富山から移住をした二人。

その二人は、友達でもなかったし
バトンでもたぶん…一度しか逢ったことがなかったのに
今一緒に住み、暮らしている。

定職についていなくて、
良さそうな場所に移住する若者の話はよく聞くが

二人ともそんな年齢でもそんな状態でもない。

初めて逢って、「ビビッと来ました!」的なノリ(笑)もないし
「話してみたら気があって!」とかも間違いなくないだろう。
気が合うも何も…全く違う二人。

そして二人とも、

他人と暮らすなんてあり得ない!と思っていたはずだ。

特に、ここで紹介する “おじま みちる” さんは。

最後に一緒に住んでいる“ Nakabe Yuka ”さんのブログの
出雲に住むことになった理由の記事も貼っておきます。


“おじま みちる”さんが昨日、noteというブログを始めたようで

そこに載せてあった記事を紹介します。

必要な方に何かしら届くことを願って。


そら


    *


地元である富山を離れ、ここ出雲に住み始めて丸一年が経った。
 
一年前までの自分と今の自分。
 
 
変わらないようで、何かが大きく変わっている気がする。
 
 
なにしろ自分のことなので、何がどう変化したのか??
なんてことは実際のところよくわからない。
 
 
ただ、ひとつ言えることは
人生において問題がなくなった。
 
 
言い換えれば、問題だと思っていたことを問題視する必要がなくなったということだろうか。
なので、必然的に私の中からあらゆる問題は消えた。
 


問題だと思わなくなったということではなく
 
 
もっともっと、大切な何か…
 
 
言葉では表現できないその
何か…を、私はいつも、毎日のように感じることができている。
 
 
そこに辿り着く過程で知ったこと。
 
 
それは
『人は本当の意味で全員バラバラである』という事実。
 
 
そんなこと、、思考では当たり前に知っているつもりだった。
 
 
だってあの人と私が違うのは知ってるし、
この人とあの人も違うというのは知っている。
 
 
しかしそれは、

単純に個性レベルで

『人って皆んな違うよね』

と思っていたり、その人が暮らしている条件や今までに体験した出来事が違うだけで実際は必ず、

人には共通なものがあるはずだという前提の意識で相手や自分を見ているがために、本当の意味で違う存在だとは認識していなかった。
 


人なんだから、こうして…こうできて…当たり前だよね。
そんな当たり前な些細なことが、
こんなにも 本当に相手を感じられないようにしていたのか…
 
ということに愕然とした。
 
 
 
【本質的に全員が違う存在】
 
 
 
人間に共通なものなんて本当は何ひとつないという事実を知った時は、
 
天と地がひっくり返るくらいの衝撃だった。
でも不思議とどこかで安堵感があった。
 

人は自分の価値観で全ての物事を見ている。
相手のことなど、わからない。
わかるはずもない。
 
そのことが、寂しくも感じたが
それ以上に、もっともっと相手を知りたいと思えた。
 
そんな、相手を感じたい自分だと、出雲にきて気がつかされた。
 
今まで、わかっている…と思っていたから
興味が持てなかっただけだった。
 
 
本当は知りたい!
 
本当は関わりたい!
 
 
そんな私が、いるなって思ってもいなかった。
 
 
そんな当たり前のことさえ知らず、
自分の価値観や想像力、正しさを物差しとし、思い通りにならない!わかってくれない!と一喜一憂している。
 
そんな自分が、笑えた。
 
 
私はずっとそうやって生きてきた。
社会に何となく馴染めず、人が苦手だからと人間関係も諦め、なるべく人と関わらないように40年以上生きてきた。
 
きっと、小学校の時にいじめられたまま、時間が止まっていた。
 
 
自分を生きている実感も持てず
だから好きな事をして生きる!と、

興味ある人に会ってみたりアグレッシブに動いてみても、

何ひとつしっくりこず、達成感や充実感は得られずにいた。
 
 
やっぱり自分はダメなんだ…
 
 
常にそうやって諦めの中にとどまるしか手立てはなかった。
 
 
しかし、本質的に全員バラバラで、誰にも影響されていない自分、それぞれの人生に本当の意味で流れているのに、私たちは気がつかずその流れを止めているだけ。
 
それを、具体的に知った時
 
私の中で大きく何かが剥がれ落ちた。
 
 
 
最初は、ダメな自分が自分なんだ…ということを外そうとしても外せなかった。
 
今思えば、外せなかったのではなく、外したくなかった。
 
その先が何も見えなかったから。
 
 
けれど、その先は
当たり前な日常の中にあった。
 
 
何も見えなかった私が
それしか見えないほど、それがはっきりと見えた。
 
だから私は、何も変わっていない。
 
間違いなく、今までの日常にもあったこと。
 
それを当たり前に感じられるようになっただけ。
 
 
でもそれは
私が今まで見ていた世界とは全く違うもの。
 
 
私は今まで、本当のその人をちゃんと見ていたのだろうか?
 
親もいる。兄弟もいる。友達もいる。
その人たちに人生が流れていると
思ったことがあったのだろうか。
 
 
本当の意味で自分の中に相手がいたのだろうか?
 
そんな問いが生まれた瞬間でもあった。
 
 
それは自分に対しても同じだった。
 
 
本当の自分は
自分が思っている自分とは実は全く違うのかもしれない…と。
 
 
もしかしたら、
生まれてから人というものを初めて認識できるようになったのかもしれない。
 
 
そして今、私は
どんな瞬間でも自分らしく生きている実感がある。
 
 
それは楽に生きるとか、好きな事をしているとか、好きな人だけと付き合うとか、
そんな狭い世界ではなく
もっともっと広くて揺るぎないもの。
 
 
さらに人と関わりたくて仕方がない自分だったということも、
私を本当の意味で自由にした。
 
関わっていいのだから。
 
 
 
だからあの時…
 
色んな場面での、自分の反応と選択に納得がいった。
 
 
過去には洋服を作る仕事やアロマ店の店長もやっていたりと、
人から見たら好きなものに囲まれているような生活を送っていたけれど、
 
そんな派手なことは今は何もない。
 
 
だけれど、『今が一番幸せ』と表現するしかなくなった。
 
 
【本質的な人生】
 
 
それはとてつもなく…深い。
 
 
他者を知り、自分を知ること。
 
 
そこには当たり前の、シンプル過ぎて見逃してしまうようなことが沢山隠れている。
 
 
今、世の中は混乱の真っ只中にいる。
 
先が見えない不安の中にいる。
 
 
きっと…何を信じたらいいのかさえ、わからなくなっている。
 
 
そんな中、あなたに何かしら伝えられることがあれば…

そんな想いでnoteを始めてみたいと思う。


 
出雲より。
 
 
michiru

『 赤い服もいいな♪ 』と、簡単に意識が変わる場所。
シンプルな自分に戻れる場所。
詳細は、下記リンクで。
https://ameblo.jp/sora-ni/entry-12524857992.html

上のリンクの最後に、

一緒に住んでいる“ Nakabe Yuka ”さんの
出雲に住むことになった理由の記事もあります。


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