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魔法使いの少年と。

 私は昔から泣き虫だった。男の子にいじめられて泣いて、それをからかわれてまた泣いて。気が弱くて引っ込み思案だった私は言い返すことも出来ずにただ泣くだけだった。どうすることもできなかった。それがとても悲しくて、いつしか私は男の子が怖くなった。だからいつも男の子たちから逃げるように人気のない場所で一人泣きじゃくっていた。
「――ねぇ、『まほう』をみせてあげるよ」
 そんな私に声をかけてくれたのは、一人の男の子だった。昔のことで顔は殆ど思い出せなかったけど、いつも私をいじめる男の子たちが浮かべる意地悪そうな笑みじゃない、優しい笑顔をしていたことだけは覚えていた。
 幼稚園のすみっこで蹲る私の前にその男の子は同じようにしゃがみこむと、ポケットから一枚のハンカチを取り出した。青いチェックのハンカチだったと思う。彼はそのまま表と裏が分かるようにくるくるとハンカチをひっくり返した。
「みててね……」
 そう言いながら男の子は右手に布をかぶせた。いったい何が起きるんだろう。目の前で行われる不思議なことに気を取られて、私はいつのまにか泣き止んでいた。私の方を見て本当に楽しそうに笑う男の子に、私はわくわくが止まらなかった。
「いくよ? いち、に、……さん!」
「わぁ……! すごーい!!」
 掛け声とともにハンカチが外される。何も握ってなかったはずの男の子の右手にはきれいな白い花が握られていた。私は嬉しくなって手を叩いて喜んだのを覚えている。
「はい、これあげる」
「え、いいの?」
「うん! きみをえがおにするために『まほう』かけたんだよ!」
「すごい! ***くんは、まほうつかいなんだね!」
 白い花を受け取った私は泣いていたのが嘘のようにニコニコと笑った。そんな私を見て、男の子も笑ってくれたと思う。
 私はその男の子が『まほうつかい』だって本気で思っていた。その彼が作ってくれたこの花は特別なものだった。白い花を見ているだけで心がぽかぽかして幸せな気持ちになった。無くしたくなくてどうすればいいか母に相談すると「押し花にすればいいわ」と言われたので、母と一緒に押し花を作った。生まれて初めての押し花づくりだった。できた押し花のしおりは今でも大切に持っている。
 記憶がおぼろげで名前すら思い出せないないけれど……あの男の子とはすぐに分かれたような気がする。幼稚園を卒園する頃には彼の姿はなかった。アルバムにいるかもしれないと探してみたこともあったけど、どの子がその『まほうつかい』の子だったか分からなくて探し出すことは出来なかった。もしかするとあれは、私が見た夢だったのかもしれない。そんな男の子はいなくて、ただ泣き虫だった私が自分で自分を慰めるために見た幻なのかも。
 ――本当のところは分からない。
 だって、確かめる術なんてないのだから。

***

「美咲ー!」
 教室で鞄に教科書を詰めていると、後ろから声をかけられた。
「奈々ちゃん? どうしたの?」
 笑顔で私の傍にやってきたのは友達の奈々ちゃんだった。大人しい私と違ってハキハキと明るく元気な彼女はいつもより嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「ねぇねぇ、早く部活見学に行こうよ!! ほらほら!」
「う、うん、ちょっと待って……っ!」
 待ちきれないのか、奈々ちゃんは残りのプリントを教科書の間に挟むように差し込み、そのまま私の鞄を持って行ってしまった。慌てて彼女の後を追いかける。
 教室の外で待ってくれていた彼女に鞄を返してもらって、二人少し急ぎ気味で体育館の方へと向かう。
「奈々ちゃんは、バレー部に入るんだっけ」
「そう! 私も早くお姉ちゃんみたいにバレーやりたいって思ってたの!!」
 そう言って彼女は弾けるような笑みを浮かべた。
 奈々ちゃんのお姉ちゃんも奈々ちゃんと同じくらい運動神経が良くて、応援に行った大会では大活躍していた。そのお姉ちゃんの姿を見て、奈々ちゃんもバレーがやりたくなったらしい。
「そういえば、美咲はどこに入るか決めたの?」
「ううん、まだ……。運動部は無理かなぁとは思うけど……」
 握りしめたプリントに視線を落とす。『入部届』と書かれたそれはまだ白紙のままだった。彼女のプリントには大きな字で『バレー部』と力強く書かれている。
「えー? そんなことないよ! 運動がニガテっていうけど、下手じゃないもん」
「でも、運動部って、なんだか怖くて……」
 体を動かすことは苦手だ。もし自分のミスで誰かに迷惑をかけてしまったらって思うと満足に動くことが出来なくなる。からかわれたりしたらどうしよう、笑われたらどうしよう。そう思うと涙腺が緩んでしまう。……だから、運動部には入りたくないのだ。
「美咲は怖がりだもんねぇ。こわーい先輩とかいたら心折れちゃうかぁ……うーん、もったいない」
 奈々ちゃんはそう言ってくれる。とてもありがたかった。声も小さくていつも一歩後ろに下がってしまう私の手を引いてくれる……優しい友人だ。
「うわぁ……すっごい人だかり。あれ、全部勧誘かな?」
 奈々ちゃんが驚いたような声を上げた。一階にたどり着くと、目の前にはたくさんの人だかりがあった。すぐそこの渡り廊下を渡れば体育館に着くのに、この人だかりじゃそう簡単にたどり着けそうにない。
「こりゃ、気合入れていかなきゃね! 美咲、はぐれないように!!」
「う、うん……」
 私が頷くと奈々ちゃんは私の手を握って前に歩き出した。おいていかれないように私も一生懸命ついていく。
「ねぇねぇ、バスケに興味ない?」
「野球部はこっちだぞー!! グラウンド行くからついてこい!」
「漫研に入りませんかー? 週三日で掛け持ち有りですよー!」
「今から音楽室で吹奏楽部の演奏しますー!! よかったらどうぞー!」
 左右から押し寄せてくる人の波もすごかったけど、勧誘の熱もすごかった。正直、奈々ちゃんがいなければ自分一人でここを潜り抜けることは出来なかったと思う。何度も何度も手が離れそうになりながらも、私は何とか人波をかき分けて渡り廊下の近くまでたどり着くことが出来た。
「ふはっ! すんごい人だった……。でも、ここまでくればひと段落、かな?」
「う、うん、そうだね……ありがとう、奈々ちゃん」
 二人で少し上がった息を整える。なんだか始まる前から疲れてしまった。ほぅ、と息を吐く私と違い、奈々ちゃんはすでに元気になっていた。やっぱり、私と体力が違うみたい。
「――お嬢さん方、魔法をおひとついかがかな?」
 それは、男の人の声だった。
「え……『まほう』?」
 思わず声を上げてしまう。振り返ると、そこには制服をしっかりと着込み優しい笑みを浮かべた男の先輩がいた。
 私が反応したことに気をよくした先輩は私たちによく見えるように右手を翳す。そのままくるくるとひっくり返して『種も仕掛けもない』ことを見せると、そのまま軽く拳を握った。
「さて、それでは参りましょう。いち、に、……さん!」
 掛け声とともに手を開くと、いつの間にか一輪のバラが握られていた。
「て、手品……?」
 戸惑う奈々ちゃんの声が聞こえる。いきなり現れて手品を見せられて困惑しているみたい。……でも、私は今それどころじゃなかった。
「――――。」
 目の前で起きたことにあっけにとられて、私は言葉を失ってしまった。それは手品に驚いたからでも、奈々ちゃんのように困惑したからでもなく……『ソレ』がとても、見覚えのあるものだったから。
「……やはり、『コレ』では駄目ですかね。昔は笑ってくれたんですけど」
 そう言って目の前の男の子が困ったように笑った。その笑みが、記憶の中のあの男の子と重なる。
「――『まほうつかい』?」
 考えるより先に言葉が零れていた。私のつぶやきが聞こえたらしい彼は、困った笑みを引っ込めるとほっとしたような安心したような顔をした。そのまま一つ、息を吐く。
「よかった、覚えていてくれたようですね。嬉しいです」
「ほんとうに、本物……?」
「えぇ、本物ですよ。ほら」
 そう言って彼は私の手を握った。私より大きくて暖かい手。――頭がそう認識した瞬間、顔から一気に火が噴いた。
「きゃっ……!?」
 急に男の人に触られた所為で、驚きの声を上げながら小さく飛び跳ねてしまった。
「あぁ、そうでした。男の人が怖いって言ってましたね……すみません、久しぶりで忘れてました」
「……あ」
 握られた手の上には折りたたまれた紙があった。開いてみると、それは私の名前の書かれた入部届だった。未記入だったはずの部分に『マジック同好会』と綺麗な字で書かれている。
 顔を上げると、目を細めて笑う彼の顔があった。
「入ってくれませんか? 今はまだ部員が足りなくて『同好会』にすらなれてないんです。部員があと一人集まれば『同好会』として申請が出来るのですが」
 楽し気に、期待を込めた視線を向けられる。記憶の中の彼と変わらない、穏やかで優しい笑み。見ているだけで押し花のしおりを眺めているときのように穏やかで優しい気持ちになって……でも、どこかきゅっと胸を締め付けられる。その痛みが不思議で思わず胸に手を当てた。……これは、なんなんだろう。
「……私で、よければ」
「ちょ、美咲!?」
 気づけば私はそう答えていた。焦る奈々ちゃんの声がする。やめときなよ、そう言いたげに私の制服のすそを引っ張っている。私は黙って気づかないふりをした。
「ありがとうございます。これでなんとかなりそうだ」
 嬉しそうに笑う先輩の前にしびれを切らした奈々ちゃんが体を割り込ませてくる。彼女の肩の向こうに驚く先輩の顔が見えた。
「ちょ……ちょっと、アナタ! いきなり現れて急に勧誘して……! 一応、美咲の知り合いみたいだけど、この子を泣かせたら私が許さないんだからね!!」
 私を背に庇いながら奈々ちゃんが吠える。睨まれているはずの先輩だが、奈々ちゃんの言葉ににっこりと笑った。まるで『何も問題ない』と言いたげな笑みだった。
「大丈夫ですよ、絶対に泣かせたりしません。……君が幸せになれるように、僕が魔法をかけてあげますから」
「…………!!」
 ――それは、あの時と同じ言葉だった。
 心臓がとくとくと早くなる。顔がどんどん熱くなる。目の前がチカチカして、彼の笑みがキラキラして、なんだか頭がくらくらする。
 彼は私の足元に跪くと、仰々しい仕草で私の手を取った。どこか芝居がかった動きなのに彼がやると違和感がなかった。
 どきどきと、いつもと違う緊張感で指先が震えた。
「僕とともに、来ていただけますか?」
 熱のこもった声が、私を見つめる彼の目が、私に『何か』を訴えかけてくる。ただ私を案内するだけの言葉なはずなのに……なんだか、別の意味に聞こえて……。
「――はい」
 熱に浮かされたようにぼんやりした頭で頷くと、彼は眩しそうに目を細めた。その顔にまた、心臓がどきどきとうるさくなる。
 この熱が、この感情が、この想いが。何を意味するのか――鈍い私でも、理解できた。
「……『幸せ』に、しますから」
 甘く微笑む彼の周りに、きらきら煌めく魔法の光が見えた気がした。

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photo by Kelly Sikkema

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