色鉛筆
紙の上にクレヨンを滑らせることに幼い娘が慣れてきた頃、そろそろ色鉛筆を買おうとおもった。
どこで買おうか、何色セットにしようか、などと、ぼんやり考えながらも忙しい日々のなか、実際に買い求めるのはつい後回しにしていた。
いつだったか、雑談のなかでそのことを実家の母に話すと、
「昔使ってたやつが家にあるよ。あれで良かったら持って帰り」
と、あっさり言われた。
はじめての色鉛筆はこれがいい!というこだわりは全くなかったので、有り難く譲り受けた。
24色の色鉛筆。
1本はどこかへいってしまったので、ケースの中身は23色分。足りない1本は何色なのかすら分からない。主だった色はだいたい揃っている。
わたしの母が買った、その古い色鉛筆は、ひとつひとつに色の名前が刻まれている。
あかいろ、あおいろ、むらさき、ぐんじょう。
そこで気が付いた。いまではもう呼び名の変わった色があることに。
はだいろ。
いまは、うすだいだい、と呼ばれている色。良い変化だとおもう。肌の色がその色とは限らないのは、当たり前のことだから。
うすだいだい。
娘に色を教える時にも、新しい呼び名で伝えるように気を配った。
わたしも子どもの頃に使っていたらしい(残念ながら全然覚えていない)色鉛筆たちを、娘はいっしょうけんめい紙に押さえつける。だからすぐに芯先が折れてしまう。
そこで鉛筆削りを買った。
鉛筆削りを買うなんて、いつぶりのことだろう。
じょりじょり、色鉛筆の先を削る。これも最後にしたのはいつのことか思い出せないくらい昔のことだった。じょりじょり。鉛筆が薄く削れる感触と音が、ちょっと楽しい。
色鉛筆を削りながら、わたしが小学生だった頃に電動鉛筆削りがとても人気だったことを思い出した。
はじめは友達のなかで数人だけがそれを持っていた。
鉛筆をかるく差し込むだけで、ガーッ、と瞬時に削れて芯がピンと美しく尖る、その感動といったらなかった。自分の持っている鉛筆削りは、鉛筆を差し込みながら、手動でハンドルをくるくると回して、たくさん回してもまだ芯先は少ししか出ないし、まあるいまま。
ピン、と尖った鉛筆のほうが圧倒的に書きやすいと、小学生のわたしは妄信していた。少しくらい丸い芯先のほうが、ほんとうは折れにくくて強いのだけれど。
どうしても電動鉛筆削りが欲しかったので、何度も何度も、何週間も、親に頼み込んで、ようやく買ってもらった。
確か小学校を卒業するまでは大切に使っていたとおもう。
中学生になると、周りの友達はみんな鉛筆を手放して、シャープペンシルを使い始めた。当然のようにわたしもそれに倣った。
あの電動鉛筆削り、どこにやったっけ?
娘の色鉛筆を丁寧に削りながら、そんなことを考えていた。芯先は少し丸く残して。
手動の鉛筆削りも、悪くないよ。
…なんて、今頃になっておもうわたし。
あの頃のお母さん、わがままを聞いてくれてありがとう。
電動鉛筆削りはもうどこかへやってしまったけれど、せめてこの色鉛筆は大切に使わせてもらいます、と、心のなかでつぶやいた。
(2020/06/18)№6
最後までお読みいただき、ありがとうございます。なにかひとつでも心に残るものがあれば幸いです。