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彼氏ができて、人生の終わりがイメージできるようになった。

こんばんは。こんなにnoteを滞らせているのは初めてで、たぶん、定期的に読んでくださっている方とかいないと思うのですが、もしもそういう方がいらっしゃったらごめんなさい、そして、ありがとうございます。

とっても元気なんですが、仕事の繁忙期でちょっとご無沙汰しております。
というわけで、力の入らない話題を少々。(といって書き始めたら結局長くなりました…。noteをコンパクトに書けない人…)

彼と付き合ってできた、ONとOFFのリズム

彼と私の家は電車で40分ぐらいの距離なんだけど、平日に敢えて会おうというのは誕生日ぐらいで、もっぱらデートは週末になっている。金曜日の夜に待ち合わせて土曜日までデート、が一番多いパターン。お互いの予定によっては、土曜か日曜の日帰りになったり、予定して旅行する時は土日になったりする。

私たちにはこのリズムがちょうど良い。私はあまり要領が良くないこともあって、金曜日の仕事を終えると、もうヘロヘロになっていて、金曜の夜から土曜日までを、デートという休息の時間にするのがとても良い。

土曜日は仕事のことも、自己成長のためにやっている+αのことも忘れるのを基本にしている。一人の時には、うまく自分のスイッチが切れなかったので、こうやってリズムが出来たのがとてもありがたい。OFFの時間があるから、日曜日からまた頑張れる。

そして、日曜日は大体掃除のルーティンをして、平日なかなかできない社外の勉強っぽいことをしたりするので、日曜日は休息という感じはあんまりない。

春の子熊みたいなOFFの時間は、びっくりするほど速く過ぎる

彼との時間は、本当に果てしなくリラックスしているので、まったく疲れない。たとえば、温泉が充実したホテルに泊まったりすると、私が1時間半ぐらいお風呂から帰ってこなくても彼は気にしないでいてくれる。

相手がイライラしながら待っていると思うような状況だと、私はくつろげないけど、私がいなければいないで、彼は仕事の残務をしたり、YouTubeを見てゲラゲラ笑ったりしているから、何も気にしなくて良い。いつでも「いいよいいよー、思いっきり休もうぜー」って言って、私が長風呂なのを放置してくれる。

はるか昔、まだ私が学生の頃に『ノルウェイの森』を読んで、「春の子熊みたいに1日中ころころ転がって遊べる」ような相手に出会うことに憧れたものだが、そんな相手は過去の人生にはいなかった。

アラフィフになったいま、私は彼と、春の子熊みたいにころころ転がりながらじゃれていることが割とある。そういう時間は、エロモードの時間とはまた別で、とてもとても幸せだなと思う。

金曜日の夜に彼に会うと、まだまだ時間はたっぷりある、と思うのだが、気付けば土曜日の別れの時間になっている。一緒にいる時間、私がなにかでイライラすることはあっても、彼がイライラする様子を見たことがない(仕事の話になって熱弁したりすることはあるけど、だからといってイライラはしない)。「はやく終わってくれないかな…」と思うような、一緒にいて不快な時間がまったくないから、楽しい時間はあっという間に過ぎるのだ。

ONの時間を全力でじたばたしているうちに、あっという間に週末が来る

彼との休息の時間が終わる時、私はちょっと背筋がぞわぞわするような気持ちになることが割と多い。明日からまたスイッチONだ。来週のあれやこれやを私は乗り越えられるだろうかって。たかが仕事で大げさかもしれないんだけど、自分としては、いつもちょっと背伸びして仕事をしている心持なのだ。

うまく行く日もあれば、行かない日もあるけれど、とにかくジタバタして、ガッツポーズしたり、へこたれたりしながら、どうにかこうにか仕事やら何やらをこなしていくうちに、あっという間に金曜日の約束の時間がまたやってくる。

多分、私たちはあっという間におじいちゃんとおばあちゃんになるのだろう。

彼と出会ってから、このリズムの繰り返しで、びっくりするほど時間が速く過ぎる。楽しみにしていた2カ月後の旅行も、あっという間に楽しかった想い出になっている。仕事の山場をひとつ迎えてドキドキしていた週初めも、あっという間に週末の休息タイムを迎えている。

でもそれは心地の悪い速さではなくて、それをとても幸せに感じる。またこうやって、週末のデートができたこと、またこうやって、どうにか今週の仕事を乗り越えられたこと。そういう時間を過ごせた私たちが、また一週間、健やかでいられたこと。

彼に出会うまでの私には、おばあちゃんになった自分がどこで何をしているのか、まったく見当も付かなかった。ひとりでいることは、自由だ。私自身が、5年後10年後にどんな心境でいるかなんて想像も付かなかった。ひとりでいれば、どこに暮らす可能性だってあるし、もしかしたら、今後おつきあいするお相手によって、住む場所が大きく変わる可能性だってある。相手が定まっていなければ、可能性は無限だ。

彼に出会って、私の未来の可能性は狭まったと思う。狭まるというか、範囲が決まるというか。そしてそれもまた、幸せなことなんだなと思う。先が読みにくい時代のなかで、私たちはその都度、柔軟に対峙して、幸せに生きて行きたい。でも、隣にこの人がいる、ということについては、ずっとずっと大切にしたい。

チャーミーグリーンみたいな、おじいさんおばあさんになりたい。

もう30年以上前のことなんだけど(世代差が…ごめんなさい)、「チャーミーグリーン」という洗剤のCMがずっと、♪チャーミーグリーンを使うと~手をつなぎたくなる~♪っていう音楽で、老夫婦が楽しそうに手をつないでいるシリーズがあった。

※YouTubeで久しぶりに見てみたら、記憶している音楽とだいぶ違った…

彼と私は同い年なので、「チャーミーグリーンのCMみたいな老夫婦に憧れているんだよね」っていう話で、わかるわかる!って話が通じる。

人生後半に差し掛かった今、とても素直に、こんな風に小さな幸せが続いていくことが何より幸せだと思う。そして、そんな小さな幸せをまた1日重ねられるように、不器用でも自分なりに、目の前の毎日のことに向き合っていきたいと思うのだ。


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