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気を遣うことで、働いている。

明日の会議の段取があとちょっとで終わる、というところで、ふと力が抜けて、寄り道みたいなnoteを書いている。

私はもともと、気が利かない方だ。
仕事の飲み会でも合コンでも、お酒や料理に目を配るのをすぐに忘れてしまう。若いころから下手だったし、いまだに気が利かない。上司(男性)の方がよほど気が利く。

飲み会に行くと、必ず、やたら気が利く女子がいてあちこちに気を回していたけれど、そういう子を「すごいなあ、でも私には無理だなあ」と横目に、私はだいたいボーっとしていた。仲良しの男子と2人で飲みに行っても、気付けば大体、男子の方が料理を取り分けたりしてくれていた。

とにかく、あんまり、生きる上でのあれやこれやが器用ではないのだ。
基本的に動きが遅いので、家事全般なんでも遅い。お風呂に入れば他の人の倍はかかる。のろまな雰囲気がにじみ出ているから、周りも私に、そういうことを期待しなくなっている。

それなのに、仕事で私は、気を遣っているのだろうな、と、最近思う。

私の会社は小規模で、仕事はルーティンじゃないことばっかりで、周りは自分より優秀な人ばかりだ。なんで私がココにいるのだろう…と未だに時々思うことがある。(ただ、それをあまり掘り下げると自己肯定感が下がってしまうので、そこはあんまり考えない。)

ノルマが厳しいとかがあるわけではないのだが、あんまり合わない人は数年で去って行き、よく働くな…と思うような同僚ばかりが残っている。正直なところ、専門知識とか技のキレみたいなこととか、その他もろもろ、同僚たちに勝てる気が全然しない。

それでも私には居場所があって、私は(少なくとも当面は)この会社に必要なんだろうな、と思うような立ち位置がある。

自己肯定感が低すぎて、そういうこともずっと自分で分からなかったのだが、去年、いろいろコーチングを受けたりして、ようやく自覚できるようになってきた。

自分はたぶん、他の人を活かすこと、そのために段取りすることが上手なのだ。周りの人の良いところやクセをよく観察して、とっても優秀だけどアクが強い方々が、のびのびと良いところを発揮できるように、場を整えたり準備したり、欠けてそうなところを補ったりするのが、私は割と得意なのだと思う。そして、それが多分、私が今の職場に居続けられている理由なのだろう。

けれども、相変わらず、飲み会では周りの人のグラスが空になっても気付かない。気を遣う、にも、いろいろなタイプがあるのだろう。

気を遣うのにちょっと疲れてくると、気が合う同僚に愚痴ったり、彼氏に話を聞いてもらったりしてまた快復する。

いろいろ苦手なことがありながら、でも、だからこそ、得意なこともあって、どうにかこうにか今までやってこられてるんだろうな。ありがたい。

なんだか結論がないnoteになってしまった。。
また元気に1週間を過ごして行こう。





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