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電車の窓越しの彼を見て、菅波先生の言葉を思い出した

電車で街に出かけた、土曜日の夜。
私たちは、車でデートすることが多いから、いつもは彼が車で家まで送ってくれる。でも、街に出掛けた時は、彼の方が都会に住んでいるので、彼が先に電車から降りる。

彼は電車から降りるといつも、私の姿が見えなくなるまで、ホームに立って見送ってくれる。電車が停まって、ドアが閉まって発車するまでの1分程度の時間、彼はずっと笑顔で私を見ていてくれる。そして、電車が走り出すとお互いに小さく手を振って、そして見えなくなる。

2メートル以上向こうの、窓ガラス越しの彼が笑っている目元を見ていたら、急に、キュウっと切なくなった。

ああ、私はもう、この人なしでは生きられなくなってしまったかもしれない。差し込むように、そんな風に思った。

これまでずっと、45年以上も、ひとりで生きようとしてきたのだ。もちろん、家族とか友人とか、直接知らない山ほどの人のおかげで生きてはいるんだけど、心の持ちようとして。

心から自分を受け容れてくれる人になんて会えそうにないから、関係を持つ男性ができても、どこかにいつも針が残っているから。だから何よりも、自分のことは自分でできるようにって思ってきた。

たとえ彼氏がまた新しくできても、心から気を許すようになるなんて期待すらしていなかった。だって、期待が膨らみすぎても落胆するだけだから。
ただ、仕事とは別のサードプレイスがあったら良いな、それぐらいで十分だと思っていた。

でも今の彼に出会って、彼がいつも私を支えてくれて、包んでくれているから、時には仕事の愚痴を聞いたり聞かせたりしても、一緒にいれば自然と笑顔になれる。たとえ私が元気が無くても、結局、一緒にいるといつも楽しくて幸せな気持ちになる。

もしかしたら、もう私は、彼がいなくてはいられないのかもしれない。
どうしても失いたくないと思う相手ができた、私は、とても弱くなったのかもしれない。

そんな風にふと考えた時に、『おかえりモネ』の菅波先生の言葉を思い出した。ドラマの最終週で、亮が菅波先生に「そんなに大事だと怖くなりませんか?」って聞いたら、菅波先生はこう答えた。(ググりました)

「全くの不可抗力で突然大事な人を失ってしまうという可能性をゼロにはできません。未来に対して僕らは無力です。でもだから、せめて今、目の前にいるその人を最大限大事にするほかに、恐怖に立ち向かう術はない」

失うことを恐怖だと思うくらい、大事な人なのだなと思う。
だからこそやっぱり、最大限大事にしようと思うのだ。

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