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よく分からない ②

これの続き?にしたいんだけど
どうだろうか?

全てわたしの場合の話だから
そうじゃないだろう!と思う事も書かれてる
でも、それをいちいち否定されてたら
わたしって存在そのものが曖昧な物になりすぎるので、そこだけは理解してもらえると書いていて安心だったりします。


この記事の最後の
もっとどうでもいい話を思い出せなくてね
なんだったのか?
メモすら残してないという有様でして
はて?
分からないぞ。
どうしようか?
思い出すまでどのくらいかかるかな?

この、記憶を呼び起こすスイッチみたいなものが上手く機能していないのを理解してる
もうそのスイッチは壊れてしまってるのかもしれないけれど、壊れている訳ではなくて
思い出さなきゃいけないタイミングで出てこないだけで、とんでもないタイミングで「あ!あれだ!!」となるのがなんとも面白くてね
その、タイムラグがなぜ起こるのかもなんとなくわかる気がしてるの。
宇宙的に見ると、先に置いておくんだよね
答えをさ
だから、その先の到達点に来ると無理しなくても「あの時思い出せなかったあれはそれだよ!」となるわけです。

(よく分からないわたしの個人的理論)


片付けってなかなか難しくてね
文章の整頓も難しく思うんだ

基本、よほどのことでない限りは
そうだよねそうしてみる
そうしたらいいよ
みたいに肯定するようにしている
しかし、それを強制して正そうとするのを見てしまうとちょっと待てよ?そんなにムキになってどうしたんだい?という状況になったりするのだが
そんな時に何をどう説明したって伝わらないし伝わらないばかりか、「なぜそう0か100かになるのか?」と責めらる
そんなつもりもないのだが、そうしないとと言っているのはその人なのだがそこは自己理解もできていないのかなんなのか、とにかく諸々説明をしてみるのだが…

何言ったって「あんたの言ってることがおかしい」と言われるので常々黙っているのだけれど、たまにどうしてなのか理由を伝えないといけない状況になるため説明するのだけれどやっぱりその話をすると
「日本語通じないからもういい」と言われ
自分が理解出来ない事をわたしがおかしい事にされて終わる。

そりゃ早く消えてくれ言われるよな
生きてちゃいかんのだと
わたしのような者は
でもな…責任取らないとなできるところまではやると決めてるから
それすらも理解して貰えないんだから
もう黙るしか出来なくなるだろ
なのに黙ると「都合悪くなるとそうやって」と責められる…どうしろというのか…

本当に分からないのだが
わたしが分かったところでその相対する人は分からないまま、なんであの人はそんなふうに言うのかとか頭おかしいのになんなんだ?と思われるままだという…親子ですらそう
どこまで行ってもわたしがおかしいということで話をまとめないと何も止まらない
理解とかいう事すらももう不可能になる
わたしは真実でそうなのだと言ってるだけなのにそれが頭がおかしいということなのだと
そこを都合つけて上手いこと生きていかないとこの世界では生きていけないと、ものすごい圧力で言ってくる。

はたしてそうなのか
まぁ社会に馴染めないわたしが結論を出しているのだから仕方ないのかもしれないが
本当にそれが全てなのか?
わたしがおかしいのではなく、世の中の歯車となって世の中を動かしていられる人たちの方がおかしいのではないかと思うのだが
それはそれでまた「そうなる理論が分からない」と言われてしまうので…

ほら、黙って見てるしかできなくなるでしょう?困るのはあんたじゃなくてこの子なの!
とか言われてもね。
その子はあなたじゃないでしょ?ってなるのだけれどそのへんもまだまだ幼くて分からないのだろうか、それとも本当にそうなのかもしれないけれど…

分からないのだ。
そういった事も何が悪いのか分からないのだ
できてないから言えないのさという事は人に押し付けたりしないようにしてるのだが
それする押し付けないとどうにもならないだろうと言われてしまうので、おいおいおい!矛盾してるじゃないか!なぜなんだよ!と

矛盾してるのはわたしなのだと言われるし


因果応報なのだろうな
わたしができてないから
できる人達がわたしにできるようになれと
なんとも分からない
分からないままだ


分からないまま数日が過ぎ
季節はすっかり冬になった
案外、少し早く寝るとか早く起きるという行動がちょっとした工夫でできるのだな…と体感した今朝なのだが、わたしの分からないこともこんなふうに少しずつでも分かるようになったりできるようになるのだろうか?


というかね
この、「分からない現象」になった原因がなんとなく分かってきたのだよ。
それは、「自分らしさってなんだった?」というところが迷子になってるというところ。
おかしくなり始めたのは子が学校へ行かないとか、話を聞いてくれないとかいう所見から小児心療内科みたいな通院し始めてからなのだ
子は今までADHDグレーゾーンで小4から現中2まで来ていたのだが、この、思春期ともまた違う謎のコミュニケーションの出来なさすぎに混乱したわたしが病院へヘルプを求めたところ、自閉症スペクトラムという診断が出たことにより、わたし自身が混乱して理解できないそれにぶち当たったところから「自分らしさ」を見失ってしまっていたのではないか?となんとなく今思っている。

そしてわたし自身も自閉症などという見解を子の主治医が出しているため、尚更混乱なのだが。
分からないの分からなすぎて当たり前じゃねぇの?とか何とか。治すとか正すという事よりはそれを活かしてどう生きるかだと思うので、あれこれ無理強いはせずに、というところに成人組の子らがとやかくうるさいためにわたしはますます「自分らしさ」を見失ったりもしたのだと…はぁ長い長い書いてる何かが長いんだよ


それと、わたしが「自分らしさ」を欠く原因のひとつは突然の〈食物アレルギー〉も原因なのではなかろうかと…心的ストレスものすごいのは避けて通れないきがしてる。
だって食べたらお腹壊すし身体中痒くなるアレルゲンが《卵🥚》なのだから…


〜続く〜

え?続くのかい?

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