見出し画像

今必要な霊性(スピリチュアリティ)の復権と発展

科学なき霊性は盲目であり、霊性なき科学は欠陥である

かつてアインシュタインは「科学なき宗教は盲目であり、宗教なき科学は欠陥である」と述べました。

VUCA(ブーカ)の時代で宗教という言葉を使うことは、正確に物事を表現できていないような気もします。ここでは宗教という意味合いを「霊性」という言葉に置き換えたいと思います。

つまりアインシュタインの言葉を少し変形すると、現代では「科学なき宗教は盲目であり、宗教なき科学は欠陥である」という言葉の方がよりしっくりくるかと思います。

ラマナ・マハルシの直弟子プンジャジは

『静かにしていなさい。そうすれば宗教の構造全体が崩壊する。宗教はあなたに恐れを教える。「もしあれやこれをしなければ、あなたは地獄に落ちるだろう」と。全ての宗教は恐れを基盤にしているのだ。宗教的な師たちがこうしなさいと言ったことをしなければ、何か悪い結果が起こるという恐れだ。どの宗教も、静かにしていなさい、あなたの真我の内に静かに安らぎなさいとは言わない。(覚醒の炎)』

と言います。

宗教とは教義を持ち、教義は言葉で紡がれています。言葉は文法の構造から、始まりがあれば終わりがあるという、時間軸の中で展開されます。

そしてその時間の中に感情は生じては消えます。

言葉と感情は密接に関連し、イメージを創り、イメージは物語を創ります。ラマナ・マハルシの直弟子プンジャジの言う「静か」とは言葉も感情もまだ生じていない、物語も生じていない「静寂な場」のことです。

それはちょうど、今、当に目を通して読んでいるこの文章の背景の、白い画面のようなもの。物語が描かれている文字の背景であり、書籍でいう紙のようなものです。

その紙(神)の上に全ての物語が現れては消え、展開します。

その物語を紡ぐ力を「霊」と呼びます。

霊性とは何か。

では「霊性」とは何か!?と言うと、それは物語を創る「大いなる働き」としか言えません。

宇宙は誕生してから、素粒子、原子という「泥」を生み出します。その泥から何故か生命が誕生し、鳥や魚、人間が誕生します。

受精卵は細胞分裂を繰り返し、顔には目と鼻、口が形成されます。頭に足や指、胃や腸は形成されずに、適切な位置で発達を遂げ人間になります。

145億年という過去から未来の時間の流れで、岩から歌を歌い、詩をよむ存在を生み出します。

こうした秩序や流れはなぜ生じているのか、どこに向かっているのか!?ということはまだわかっていません。

ハッキリ言えるのは、この進化の流れは無秩序から何らかの意味のある法則や構造物、秩序のある世界を生み出すという「働き」があります。

この見えない働きのことを「霊」と呼びます。

霊(働き)は地球を生み出し、生命を生み出した

霊は宇宙誕生から長い時間をかけて、物質⇒生命⇒心というように進化と発達を遂げました。

特に地球上に生命が誕生してから現代までの時間を1年間で換算すると、下記の図のようになります(こどもサピエンス史 NHK出版2021)。

現生人類の誕生は、12月31日の23時26分という時刻です。本日この記事をアップするのは12月30日ですから、まだ人類はいなかった時間帯になります。

画像1

全宇宙の歴史から概観すると人間の歴史はさらにもっと細かくなります。

人類史「前ー近代」

かつて人類が発生した時、人間はなぜ雨が降るのか、雷が鳴るのか、広大な海は誰が創ったのか、死んだら人間はどうなるのか!?という素朴な疑問に対して、呪術的な世界観から現象を解釈しました。

つまり、我々人間が目に見えない偉大な神に喜ばれたから雨が降ったのであって、怒られたから雷が鳴ったのだ、というような解釈をしました。

大いなる自然現象の背景には、人間のような喜怒哀楽の感情を持つ精霊や神々がいて、私たちはその神々に生かされているという関係性です。

呪術的認識とは、全ての万物に私たちと同じ心や命が宿るという考えでした。だから災害や疫病などは神々の機嫌を損ねたための人間への罰なので、人間は生贄を神々に捧げ、機嫌を取ることでやっと自然の中におごそかにも生存できるという考えが中心になります。

神々は大地と空と星々を創ります。人間は神の形に似せて作られます。様々な神話という「物語」が創造され、多くの人々がそれを信じ、共有します。

そうして、自然の神々の声を聴けたりする特殊な能力者が、必然的に身分の高い地位を維持し、大衆をまとめていた時代でした。そうしてこうした認識を基礎に、宗教と文明が発展しました。

近代

その後、西暦1500年ぐらいに発展した「科学」というものが出現し、この500年程度でこの世界をがらりと変えてしまいます。

「科学」の大きな特徴の一つに、自分で自然現象を調べて「自分で答えを見つけても良くなった」という時代に突入しました。

このことから、これまで宗教が語っていた物語を信じなくてもよくなった、ということが起きました。

雷や嵐、地震、疫病などの現象は、これまで神との約束を守ったか否かで起きる現象だと「信じて」いたのですが、

一人一人が自由に調べて考え、結論を出すことを繰り返すと、それらの自然現象は原因と結果の枠組みから解釈し、ある程度コントロールできるものもあることが気づかれました。

そうして、私たちは自然を制圧し、コントロールする術を身に着けました。結果として人類は快適な生活を手に入れ、1500年代には人口は5億人しかいなったのに、80億人近くも増えました。実に人口は14倍にもなったのです。

近代化の生み出したものは、これまで神が全てを仕切ってまとめていた、主観的価値観である「芸術」、客観的事実に関する「科学」、道徳性、間主観性に携わる「宗教や哲学」といった分野が差異化され、住み分けがなされました。

それぞれは、お互いに異なる分野であるということが認識されることで適度な距離を保ち、それぞれが独自に発展していったのです。

化から分離という病へ。祖いてフラットランド。

しかし、宗教と科学は差異化したまでは良かったのですが、「前ー近代」での魔女狩り、宗教の名の下での圧制や虐殺、十仁軍の遠征、神の名の下に始まった黒人への奴隷化という様々なトラウマから、科学は必要以上に宗教や神秘主義に対してのアレルギーを露にします。

神秘主義や宗教の根幹である霊性(スピリチュアリティ)も、その地位を世から疎外されていきました。

そうしたものは、慣習的で感傷的な古い価値観にすぎず、本気で信じこんでいるものはオカルトや頭がおかしい者たちだという空気が世を蔓延します。

そして、当の宗教者もそのような価値観で生きるようになりました。

そうして、科学は全ての自然現象は科学で解明し、コントロールできるかのような錯覚を生み出します。

全ての現象を客観的な事実や数字で記述し、再現可能である、と主張しだしたのです。

しかしそれは誰しもが感じる、経験的にナンセンスな行為です。

例えば、異性と巡り合い恋をした時の体験は、その時の脳波や心拍数、脈拍、発汗、皮膚電気信号、脳内ホルモンといった科学的反応に還元することが出来ます。

脳波はβ派、心拍数は100を超え、アドレナリンやセロトニン、オキシトシンといった脳内ホルモンが表出されているかもしれません。

しかし、その本人が相手に恋した状況や解釈、心境やその理由などについては、それらのデータを差し出されても何も分かりません。

その時の個人に、「何故、相手を好きになったのか」、「あなたは、そしてどうしたいのか?」ということはの葉やホルモン、電圧計は語ってくれません。それは、実際に聞かなければなりません。

しかし、こうした文脈やストーリーは科学至上主義の世界では殆ど「意味のないもの」として扱われる傾向にあり、客観的データの波に埋没されていくことになりました。

こうして世界や人生に生ずる美しさや物語は、全て数字と記号というデータに還元され、荒廃的な世界が広がり続けました。

これをフラットランド(平板な世界)とよびます。

後ー近代(~現在)

現代では、科学と主観的な宗教やスピリチュアルは、互いにどのような位置関係にあるのか、どのような関連性があるのかが明らかになってきました。

数学者は、哲学者や宗教者の見解を参考に、この世の統一理論に意識を巡らせ、宗教は量子論や認知論を参考に独自の教義を再解釈し、展開させました。

数学、科学、宗教、哲学がそれぞれの視点を保ちながら、超立体的に倫理の外観を眺めるようになっていたのです。

それに伴って、私たちという存在とは何かという存在論や、死生観、倫理観も急速に変容しています。

科学、宗教、芸術など、分離して錯乱していたパズルのピースがまとまって、何か大きな意味のある巨大や絵を描いているかのように、見え始めました。

こうした人類の文明の発展の流れは、人類の集合的な思考により紡がれ創造されてきましたが、ビッグバンから始まる宇宙/生命の流れが人間という「筆」を通して描いた物語です。

宇宙は、生命現象をいう目を通して、自身を知り、再構築し再創造しているのです。

現代では霊(働き)を全く認識しないで殆ど全ての物事がなされている

私たちは日々の生活に追われています。

家庭のこと、経済のこと、健康のこと、職場の人間関係のこと・・・これらのことで頭が99%以上を占めています。

人間の歴史は上記のように宇宙や生命の歴史から眺めるとほんのわずかしかありません。

しかも、近年の情報化技術の進歩により、これまで是とされてきた歴史観や世界観が180度違う研究結果が発見され続けます。

一例を挙げると、今年の大きな科学のニュースでは、火星に水があったことや、UAPが存在することをNASAが公式見解で認めること。

ほんの今年のわずかなニュースを見ても、僅か5年前までは非常識と考えられていたことが常識になっています。

そして、私たちが何よりも身近にあり、全く分からないものが、私たち自身そのもののことです。

こうしてこの文章を読んで何かを考えたり感じている間にも、私やあなたの心臓は丁寧にコツコツと鼓動を繰り返しています。

体温は一定に保たれ、呼吸は一定のリズムで繰り返されています。

私たちは、これらのことを何一つコントロールできません。

私たちはなぜそれが起こっているのかを、表面の現象を救って理解しているつもりになりますが、その理解の内容もほんの数年もすれば新たな見解にとってかわられるものばかりです。

つまり、私たちは「何も分からないし、知らない」ということです。

プンジャジの言うように、私たちの本質は「静か」な静寂の意識のスペースに、様々なイメージや感情、感覚が浮かび、それをまとめ上げて物語が織りなされているのを眺めている観察者です。

そして、それは言葉であえて表現すると「気づき」そのものであり、心臓や呼吸、体温を一定に保ち、星を生成し、惑星を軌道に走らせ、岩から蝶や鳥、人間、歌や詩、絵画、映画を生み出した働きそのものです。

それはなぜ、誰が、どうして、行っているのかという質問は矛盾する質問になります。

何故なら、「誰が」「どうして」「なぜ」という疑問を呈する物を作り出す、そのさらに背後にある、背景にもともとある力であって、働きだからです。

その働きが、今この文章を読んで、色んなことを考え、感じさせています。

何もその理由はわからず、至福と静寂の空間の中にただ、その神秘が起こっています。

これが霊性(スピリチュアル)です。

私たちは何もわかってはいないし、何も知りませんが、進化の過程で、その働きをメタ認知で徐々に認識することが出来ました。

そしてそのこと自体が進化であって成長であります。

霊性についてはその壮大な神秘と謎に関しては、「前-近代」の時代のようにただ畏敬の念に囚われ頭を垂れるしかありません。そのわずかな法則や叡智を賢者が知覚し、後世に伝えてきました。

しかし、それが上手くいかないと、偏見や迷信に満ちた世界になり、そこには戦争や差別、絶対的な格差が生じ、人類の悲劇が生まれます。

つまり、霊性やスピリチュアリティの分野への潜在的な社会の警戒心の多くは全くもって妥当であり、正当なものです。

しかし、スピリチュアルに含まれる真実もまた十分に尊重され、開かれた心で丁寧に検証を積み重ねていく必要があります。

VUCAの時代には、ますます霊性が必要になって行きます。

私はこのnoteにおいて、霊性(スピリチュアル)と科学の架け橋になる役割を担えたらと思います。

つまり科学的な信頼性と妥当性、客観性というしっかりとした土台を意識しつつ、

スピリチュアリティの深淵さや神秘にも心を開いて取り組んでいきたいと常々思っています。

そこには学問の世界では禁忌と暗黙にされているチャネリング、輪廻転生、魂、地球外知的生命体、高次元の意識存在のメッセージは当然積極的に取り入れたいところです。

ゆくゆくは、それらが正式な学問のサブジェクトとなるように追力したいのです。

そのことによっての社会や個人のメリットとしては、私たちはこの困難な時代において、かつてないほど生きる意味や存在意義が問われている時代は、歴史上なかったのです。

そのことの弊害があまりにも巨大すぎで、今危機の真っただ中にいるのに、日常生活の出来事に盲殺されて気がついていません。

私たちは危機と恩寵の相矛盾する世界に同時に存在し、霊性の知識と体感が、恩寵の経験を促しますが、それがなければ他人が創った不安と恐怖のマトリックスに囚われたままになっています。

メタバースという言葉が市民権を得るほどの昨今、霊性(スピリチュアリティ)の復権と発展が非常に重要になっていると思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?