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『近代心理学の根幹にはスピリチュアル(精神性/霊的)な伝統がある』      ーその2―

(※この記事は、前回からの続きの記事になります。)

心理学の誕生

こうした歴史の中で、歪んだ情緒や主観を排した人間の心理の研究が要請される背景が歴史的に高まってきた末に、心理学が誕生したとも考えられます。

心理学の誕生の起源は1879年ライプツィ大学の実験室において、ヴィルヘルム・ヴントを始まりにしたということになっています。

ヴントは急に心理学を誕生させたわけではなく、その背景に影響力のある研究者がいました。

心理学の教科書にはヴントの科学的心理学の先駆者にあたる人々の中の、影響力の大きな人物として、グスタフ・フェヒナーという名があげられます。

フェヒナーは、フェヒナーの法則というものを提唱します。

『フェヒナーの法則』                                      心と体の関係は、心的感覚と物理的刺激のあいだの定量的な関係として法則化出来る                                         S=KLogI(心理的な感覚量Sは、物理的刺激の強度Iの対数に比例する)

こうしてフェヒナーの功績のおかげで、科学者ははじめて、心を測定できるようになりました。そうして、こうした初期の創造的成果はヴィルヘルム・ヴントによってまとめ上げられ、心理学という学問分野が「創設」されました。

心を測定可能な経験的対象へと還元し、科学的な心理学の時代を到来させました。

そして現代の臨死学、臨床心理学はこの大きな流れのもとに、大学を作り、臨床心理士の資格を作り、エキスパートを育んでいます。

こうして起こった心理学への失望

しかし一方で、ひそかに別の問題も蓄積されました。

『心の悩みの解決法を探している人や、あるいは正しい生き方や心の深層を学びたいと期待している人が、心理学に関心を持つことが多いのですが、残念ながら大学などで心理学を学ぼうとすると、失望に終わる場合も少なくありません。
多くの心理学の教科書には、心理学は心の科学であり、実験や統計によってデータを分析するものだと宣言されています。心の癒し方や、生き方のヒントを求めて心理学の大学に入ったのに、気がついたら実験や統計解析ばかりをやって、求めていた生き方の問題や、生きる意味などへの解答は得られなかったということがしばしばおこるのです。
 心理学は、近代西欧の思想的土壌の中で生まれ育ったため、物理学や数学のような自然科学であろうとしてきました。心理学の中で現在主流派を占める科学的心理学においては、心を数値化して一般的な法則を見出そうとする傾向が強いので、数字にならないような個別の心の問題や、深層心理や、生き方や死に方の問題には、直結しないことが多いのです。
このような事情によって、残念がながら、心理学では求めていたことが得られないと感じて、心理学に失望し、背を向けて行ってしまう人々がいるのです。(心は救うことが出来るのかp18~)』

こうして、学問としての心理学は、「人生への意味への問いかけ」という需要な課題を無視したために、心の荒廃という危機を迎えてきます。

それは物質至上主義による、生きがいの喪失、他者への関心のなさ、鬱などの精神疾患の増加、若者の自殺率の上昇、精神的後輩から生じる凶悪犯罪・・・というものに繋がっていきます。

「死後の生」を著したグスタフ・フェヒナー

その様な西欧心理学に端を発する、臨床心理学を含む近代心理学は、少し前までこのような問題に直面し、現代に至っています。

近代心理学は、合理的姿勢を優先し、スピリチュアリティをその学問領域から多くの場合排斥して研究を進めてきた経緯があります。

しかしながら、そもそも、その近代心理学の根幹を作ったフェヒナーは、実は1836年に「フェヒナー博士の死後の世界は実在します」という書籍を出版していることはあまり知られていません。

「フェヒナー博士の死後の世界は実在します 」                     死後の世界は存在するのか?もし存在するなら、どのような世界なのか?物理学者・哲学者フェヒナー博士は170年前にこの大問題を考察し、その答えをこの小さな本にまとめた。博士は驚くべき明快さと確かな根拠をもって、「死は生命の一つの過程であり、死は形を変えた誕生、すなわち、物質界への誕生ではなく、霊界への誕生だ」と説いた。本書は非宗教的かつ経験主義的な立場から死後の世界を考察、古典として現在も読みつがれている超ロングセラーである。

この本のはじまりには、

「人はこの地球上で、一度ではなくサンド生きる。人生の第一段階は、人は常に眠りの中にある。第二の段階では、眠ったり目覚めたりしている。そして第三の段階では、永遠に目覚めるようになる」とあります。

第三の段階の成長段階は、「偽りの霊性」が古来から言うような、分離した実在する魂の存在の永続性ではないでしょう。

それは、分離した自己に対して死ぬことによっての目覚めです。

つまり、「私」というアイデンティティを名前や人格、思考、感情、気質といった対象との同一化ではなく、それらを空間にただよう流れる雲のように認識する発達段階です。

「私」とは名前ではない、感情でもない、気分でもない、性格でもない、能力でもない、学歴でもない、体でもない、なんでもない『ただ「在る」存在』です。

フェヒナーの著作は一つの例ですが、他にも多くの例を挙げることが出来ます。

つまり、『近代心理学の根幹には、スピリチュアル(精神的/霊的)な伝統がある』、ということです。

AIと共に最優先される意識の研究

ユヴァル・ノア・ハラリは著書で、人類は戦争、飢餓、疫病というこれまでの最大の敵を克服しているといいます。

その後の人類の課題は、人類の幸せとは何か、ということの追求になります。

AIが発達し、死をも克服しようとしている人類は、本当の幸せはいまだ手に入れていません。

しかしその幸せは「幸せの青い鳥」の寓話同様に、常にすでにあるものです。

それは「私」という意識の直接経験から始まる、意識の成長過程です。

人間は宇宙のミニチュア版でもあるため、死を超えて、本当の幸せとは何かを直接経験し、進化する時代を今生きています。

心理学とは、人間の意識、および、その行動における現れ方を研究する分野です。

今後の学校教育は、人生の意味、生き方、幸福について、何故生きるのか、生命とは何か?宇宙とは何か?神とは何か?

などこれまで宗教に任せきりだった分野と真摯に向き合うような流れになって行くでしょう。

そしてそれは机上の空論に終わらず、直接今ここで、経験し、効果がある技術として学ぶことが出来ます。

それは、簡単な知識と瞑想的な技術で、常に古来から言い伝われてきた方法で、隠蔽し、隠されていたわけではなく、いつでもどこでも開かれている叡智でした。

子どもの家に、常に書斎には隠されているわけではなかった本があるように、その子どもが発達することで、物事の理解と意味が深まり、本を読めるようになることで、世界の意味が変わってきます。

「神」、「幸せ」「宇宙」「人間」「生命」「私」「生」「死」というものは、隠されておらず常にすでに、私たちの目の前にありましたが、認識する人間の発達度合いによって、解釈は異なります。

その解釈が一気に変わるきっかけは、人間の意識の発達です。

意識が今、これまでとは違う世界の解釈を行うような状態に発達しています。


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