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世代間に受け継がれるトラウマの解消法と解決方法

「情報」は物理的に生体に影響を及ぼす

私たちの脳は、イメージと現実の区別がつかないといいます。

この傾向を上手く利用して、「イメージトレーニング」という手法を、アスリートが活用していることは有名です。

アスリートに限らず、日常生活においても何かパフォーマンスをする前には、イメージトレーニングをすることでその成功率が上がることは、想像つきやすいのではないでしょうか。

反対に、このことがネガティブに表現されることもあります。

例えば「アームチェアビクティム」という現象があげられます。これは、
被害地にいないのに、テレビなどのメディアを通して、悲惨な映像を何回も見ていると、PTSDに近い心理的被害を負ってしまう人たちのことで、実際に被災していないにも関わらず、被災者と同じ症状を呈してしまう現象です。

つまりは、情報は生体に直接的にプラスにもマイナスにも影響を与えるという例が、メンタルリハーサルやアームチェアビクティムという現象にあらわされています。

次世代に受け継がれるトラウマ

情報は、生体レベルで影響を及ぼします。

ニューヨークの大学教授、レイチェル・イェフダはトラウマの専門家でかつナチスドイツによるホロコーストの生存者です。彼女は、ホロコーストの生存者の子孫の遺伝子の解析研究を進めているなかで、興味深い事実を発見しました。

その内容は、行動科学的な研究から、ホロコーストの生存者たちを見る限り、エピジェネティクスの言う「遺伝子に傷がついた」ようなことが見て取れるといいます。つまりは、トラウマが次世代に影響するという研究結果です。

このことは重要な発見で、虐待の世代間連鎖や受け継がれ、何故か繰り返される家系的な問題は、遺伝子的な傷によるようなものとして捉えることが出来ます。

「受け継がれる心の傷」への2つの反応

この情報を知って、大きな反応として二パターンあるでしょう。

1.自身の心の傷や根深い問題、トラウマは、世代間から受け継いだ遺伝子の問題で、「どうしようもない運命なのだ」とあきらめる。絶望してしまう。

2.自身の心の傷や根深い問題、トラウマは、個人的なものではなかった。これまで自分自身の問題として責任を負い、抱え込んでいたが、障害の特性を知り、解放された気分になった。

というパターンです。

一般的には1の反応を示すことが多いかもしれません。

もちろん2の反応をすることで、さらに解放へと進むことが出来ます。

もちろん、この記事は2の反応が増え、さらに「解放」のための知識と情報を発信しています。

この治療と対応法

まず自身の深刻な精神疾患や心の問題、家系的な病や深刻な問題がある場合(正直家系を少し調べたり、遡ったりすると、深刻な問題や病を抱えていない人は皆無であるとは思いますが…。)、

上記の1のような反応をしてしまうのが通常だと気づいてください。そのような無力感やあきらめ自体が、受け継がれる遺伝子の症状の中に組み込まれています。それはあなた自身の問題ではなく、風の症状の一つの反応で熱が出る頭痛がするといった反応とおいなじです。

自分自身が劣っているからとか、弱いから、などの自己卑下や罪悪感という症状に結びつける必要はありません。

これらの世代間の苦悩や問題、病に関して注目すべきことは、それが個人的なものではない、という2の見方と反応があることに気づいてください。

つまりそれは、その家系にいる人々に感染するウィルスのようなものです。ある家系に感染した苦悩の形態であり、まるでインフルエンザや風邪のように、その先の世代へと移っていきます

映画「マトリックス」に表現されている通り、この世界がシュミュレーションリアリティのような構造であり、情報空間の写像として目の前の現実が繰り広げられているという世界観は、科学の中では有力な仮説になっています。

つまり、家系に受け継がれている苦悩のウィルスは、生命現象のバグのようなものであると考えれば、

近い未来か遠い未来かは分かりませんが、ウィルスに対する特効薬やパソコンのアンチウィルスソフトのように、対応可能な未来が想像できます。

実は、その特攻薬やアンチウィルスソフトは、未来を待たずとも、古来から私たちの日常生活に受け継がれています。

それが非二元やノンデュアリティの知識と修行体系です。

何故かといえば、それらのトラウマ情報の前提は「個」という生命現象が「死」という現象に対して表現する反応であり、

古来からのスピリチュアル的な教義の核心と修練は、「私」という「個」が幻想であるという知識と体感を伴う過程だからです。

症状を生み出すコアである「私」というハブのエネルギーが無くなるか薄まることで、症状は劇的に減少します。

その過程を歩む副作用として「癒し」と「治癒」が起こります。

もう少し現代風な説明を行うと、

トラウマという情報により、脳の扁桃核に実際にミクロレベルの傷がつきます。

その傷が、トラウマの記憶を反芻させ、心身の生命活動を破壊し、衰弱させる方向に導いてしまいます。

しかし「傷」は「傷」です。物理的に怪我をした時の処置と、まったく同じです。

例えば、私たちが指先を切って、傷が出来て血が流れたとします。その際、簡単に黴菌が入らないように消毒し、バンソウコを張って処置を終えます。

あとは休息することで、指の細胞が勝手に修復を行います。このような経験は誰しもがあるでしょう。

つまり私たちは医学や科学がいくら進歩しようとも、生命現象の治癒を助ける補助的なものしかできないのです。

実際には治癒と癒しは、生命現象の働きとして、努力なしに自然に勝手に行われます。

私たちはそれがより効率よく自然になされることを、許すことしか出来ないのです。

そこに「私」という個はありません。

ヴィッパサナ瞑想から発展したマインドフルネスや、仏教、キリスト教、神道宿の修練法は、「私」という思考を緩め、「今ここ」という状態にし、心身が生命現象のエネルギーにあふれ、導かれることを目的とします。

その時、人間は、細胞が他の細胞の為に存在し、機能するように「利他的」な行動をするようになります。

そうすると社会的なレベルでエネルギーの循環が滞りなく起こります。

そうなると、治癒と癒し、そして幸福は同じ現象の、違う側面の表面として観察される社会になっているでしょう。

そのような場合、地域や家系に受け継がれるトラウマや苦悩は薄まるか解消されています。

これが虐待やいじめ問題の解決策のコアであると考えています。

しかし、いきなり社会や家系にまで意識する余裕や時間が湧かないのが自然でしょう。

まずは、自身が「今ここ」というマインドフルネス的な意識状態を、1日に1分からでよいので習慣づけることから始まります。




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