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でしゃばりな世渡り上手

出る杭は打たれる

有名になったり、才能を活かしている人は世間から恨まれる。また、良かれと思ってしたことがみんなの癪に障った。
といった使い方をしたと思う。

「みんなと同じが安心」
確かにそうだ。

「これは良い提案かもしれない」
現状を考えてくれと怒られる。

周り次第で自分の立場が決まるような環境。
これじゃ「自分らしく」なんて無い。


杭を打ってみる

実際の工作で木に釘を打つ時、はじめは利き手でトンカチを持ち、反対の手で釘を支える。

これでトントン打てる。

少し打ち付けても、反対の手が支えている。

そして半分くらい入り
「これで良いや」と思いっきり叩き込むと
頭がへちゃげて木にめり込む。

杭は自分
トンカチは他人
木の板は場所

トンカチは杭に優しいですか?
木の板は杭が立ちやすいですか?

毎日、苦労がある。
苦労が耐えられなくなったのならいっそのこと木の板から抜け出てしまえばいい。中途半端に出ると、へちゃげるからしっかりと出る。出過ぎた杭は打てないから。


どんな状態

いつから今の、この木の板に打ち付けられたのかは分からない。
杭はトンカチで打たれる。
そのトンカチは誰が持っている。
打つ人は、親か教師か友人か上司かそれとも自分か。
いつまで耐えられそうか。
これからどうしようか。
どこまで逃げようか。
そもそも抜け出せるのだろうか。
人間はどこに行っても、うじゃうじゃいる。
杭一人でどこまで行ける。
遠くに何か見えるものがあるから、きっと抜け出して頑張れるのだと思う。中途半端に個性だとか言って抜け出しても、すぐに叩き潰される。下手すると、それは地面の上で、の垂れ死んでしまうかもしれない。

いろんな木の板の上を渡る。それが「世渡り上手」なんでしょう。無謀にも地面を進んで、出た杭になれば目立って誰かに潰される。ならばと、木の板の上の、杭の間をぬって行けば、打たれることなく新天地を目指せるのかもしれない。

杭、トンカチ、木の板、全部が私の環境。

この場所が嫌で
出過ぎた杭になって
あの時とは別の木の板に
立っていれば良い。
単純に「出過ぎた杭」では、
ただの「出しゃばり」に思う。
飛び出して、杭一本では地面には立てない。
世の中には立てる木の板がどこかにあるはずだ。
つまりそこが自分の居場所。


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