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物を買わない寂しさを感じるミニマリスト

駅直結の大型デパート。有名なハイブランドのお店も数多く出店していて、平日の昼間だというのに今日もたくさんの人が買い物を楽しんでいる。

私の目的は無印良品だ。今日はトイレットペーパーのストックが無くなりそうだったのでそれを買いにきたんだった。

目的の無印良品はデパートの4階に入っている。そこにたどり着くためには、数多くのショップの前を通らなければならない。当然、様々なジャンルの様々な商品が否応なしに目に飛び込んでくる。

あるセレクトショップでは、今流行りの「Y2Kファッション」というのだろうか、マネキンがカラフルでポップな感じの服を着せられていて、全く私好みではないと思った。

そして若い定員さんが笑顔で接客をしていたが、声をかけられた女性はちょっと嫌そうな顔をしたことには多分気づいていない。

その光景を横目に通り過ぎる。

まだ目的の場所には辿り着かない。


様々なショップの横を素通りするたび、どのショップも工夫を凝らして商品をディスプレイをしているなと本当に感心する。

丁寧に畳まれた洋服、ガラスケースに守られたアクセサリーたち。

最近、私は綺麗に並べられている商品を見ると、どこか寂しさを感じるようになった。

それはもう私がその商品を買うという選択肢が初めから無いと既にわかっているからなのかもしれない。


革製品が有名なハイブランドのお店の横を通り過ぎようとした時、たまたま財布が目に入った。

ちょっと物色してみる。

上質なカーフを使ったとても綺麗な財布だった。

デザインはコンパクトでシンプルにまとまっている。

ステッチも皮と同じブラックで縫製も丁寧である。

私の好みだ。

そんな感想を抱いたところで思い出した。

「そうだ、最近私は財布を手放したのだった。」

(今は財布を使っていない。クレカ1枚とスマホがあれば困ることは滅多ない。)

その財布も当然買うことはしなかった。

声をかけてくれていたスタッフに、「また来ます。」なんて微塵も思っていない言葉をかけてその場を立ち去った。

そのスタッフは「いつでも来てください。」と微笑んで見送ってくれたが、その笑顔の裏にはおそらく私がもう来ないことを確信していたように思う。


私は今後の人生で財布というものを、もう一生買わないかもしれない。

そんな疑問が確信に変わりつつある。

自分のコスパの良さに感心した。

一方でどこか寂しい気持ちにもなるのであった。

皆が当たり前に持っていて、当たり前に欲しがり、当たり前に買い替えるものを私はもう手にすることがない。

私だけ違う世界に住んでるような感覚になる。

もちろんそれは自分が望んだことだし、必要のないものを買うやつは馬鹿だ。

世の中のマーケティング戦略に踊らされ、搾取され続ける人生なんてゴメンである。

だが、先ほど感じた「寂しさ」の正体は、合理性を追求してきた私の中にもまだ、無駄な物を買ったり、生きるために必要のない物を所有することを楽しめる気持ちが残っているということだろう。

この小さな灯火を完全に消してしまってはいけないような気がしてならない。

なんてことを考えていたら、いつの間にか無印良品の前に立っていた。

さて、目的のトイレットペーパーを1つ買って帰ろうか。



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