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【2024年】ミニマリストの全持ち物は77個

年始に毎回行っている恒例行事、ミニマリストの全ての持ち物を記録に残す企画がある。

もう2021年から続いている。

2024年開始時点の持ち物は77個であった。(これから増減はあるはず)

詳細は以下の記事から。

去年からずいぶんと減った。

とことんまで持ち物を少なくしてやろうという変なスイッチが入ってしまった。

モノを捨てる行為を崇高な行為のように語ることは嫌いだが、そんな私でも捨てるという行為には不思議な快感が宿っていると再認識せざるを得ない。

毎日のように何かを捨てたり、メルカリで売ったりしていた。

そんなこんなで気づいたらメルカリの売上金額が、それで3ヶ月ぐらいは生活できそうなくらいまでに積み上がっていた。


持ち物を極限レベルに少なくして思ったことは、ありきたりだが、生きるために必要な持ち物は本当に少ないということだ。

持ち物の数が全てではないとずっと発信してきたし、それは正論だと思っている。
しかし、持ち物の数が少なければ少ないほどいいというのもまた事実かもしれない。

ここまで持ち物を少なくすると、もう広い部屋にも、おしゃれなインテリアにも、たくさんの洋服にも、煌びやかなアクセサリーにも、便利な家電や最新のガジェットにもあまり興味は無くなってしまった。

興味がなくなったというより、それは諦めの境地に近いものなのかもしれない。

モノを捨てるということは、モノを所有することで得られる楽しみやコミュニティとのつながりを、(その楽しみが本当に必要か不要かは置いておいて)手放す行為だとも言えるだろう。

それがモノを手放す時に感じる一抹の寂しさの正体ではないだろうか。


そんなに物が少ないと不便じゃない?とか人生楽しいの?とか聞かれることがある。

確かに不便だろう。本人は不便などとは感じていないかもしれないが、現代的ではないことは確かだ。

だが、その不便の中でも生きていけるという自由がそこにはある。


物と欲望に取り憑かれた世界で、物の少なさの利点を説くやつなど少数派で、持ち物の少なさなど何の自慢にもなりはしないし、羨まれることなど滅多いないと理解している。

だけれど、それでいい。

多くの人がインテリアなりファッションなり無意味なことを人生の娯楽としているように、私も少ない持ち物で暮らすという無意味なことを密かな楽しみとしているだけなのだから。

これからこの持ち物がどう変化するのかはわからない。

だが自分が目指すところへ向けてアップデートをしていければいいなと思う。

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